「教科書」 マスミサイルの曲っだったっけっけ?
2006年3月1日特に思想も思案も混じらない文も、たまにはいいんじゃないかな。
だから唐突に読んでいる物を挙げていこうと思う。
ただ、挙げられた物と結果の文が面白いかは別問題だけれど。
雑誌から持ち出してみよう。
「ジャンプ」 「ヤングジャンプ」 「ビジネスジャンプ」
「サンデー」 「サンデーGX」 「スピリッツ」
「マガジン」 「ヤングマガジン」 「モーニング」
「チャンピオン」
月刊誌だと「ガンガン」以外は大抵読んでいるので割愛するの。
活字は月に2回ほど図書館
したがってミステリなりスニーカーなり電撃なりはメジャー以外は手がつかない。
あーあーあー。
俺ってばお子ちゃまだよなぁ。。。
世の中にはこんなメジャー誌の他に星の瞬きほど面白い漫画なり小説があると思うのに。。。
早く出会えるといいなぁ。。。
そういえば、最近になって気がついた事があります。
と言ってももう4年くらい前からその「症状」はあったのですが。
なんだか「ジャンプ」がおもしろくねぇ。
そう思い出したのです。
それはきっと自分が大人になったのでしょう。
もう少年じゃぁ無いって事なんですね。
思えば「コロコロ」が急に詰まらなく感じた時も、きっと僕は成長していたのだと思います。
果たしてこの自覚症状はどこまで進むのやら、どんな世界へ僕を導くのでしょうか・・・。
漫画を卒業のでしょうか。
どうなんでしょうね。
あ、
やっべまーたお話が脱線したよぅ
純粋なデータとしての文は、僕には書けない様です。
僕の教科書にはまとめも考察も無いようです。
そういう訳ですよ
だから唐突に読んでいる物を挙げていこうと思う。
ただ、挙げられた物と結果の文が面白いかは別問題だけれど。
雑誌から持ち出してみよう。
「ジャンプ」 「ヤングジャンプ」 「ビジネスジャンプ」
「サンデー」 「サンデーGX」 「スピリッツ」
「マガジン」 「ヤングマガジン」 「モーニング」
「チャンピオン」
月刊誌だと「ガンガン」以外は大抵読んでいるので割愛するの。
活字は月に2回ほど図書館
したがってミステリなりスニーカーなり電撃なりはメジャー以外は手がつかない。
あーあーあー。
俺ってばお子ちゃまだよなぁ。。。
世の中にはこんなメジャー誌の他に星の瞬きほど面白い漫画なり小説があると思うのに。。。
早く出会えるといいなぁ。。。
そういえば、最近になって気がついた事があります。
と言ってももう4年くらい前からその「症状」はあったのですが。
なんだか「ジャンプ」がおもしろくねぇ。
そう思い出したのです。
それはきっと自分が大人になったのでしょう。
もう少年じゃぁ無いって事なんですね。
思えば「コロコロ」が急に詰まらなく感じた時も、きっと僕は成長していたのだと思います。
果たしてこの自覚症状はどこまで進むのやら、どんな世界へ僕を導くのでしょうか・・・。
漫画を卒業のでしょうか。
どうなんでしょうね。
あ、
やっべまーたお話が脱線したよぅ
純粋なデータとしての文は、僕には書けない様です。
僕の教科書にはまとめも考察も無いようです。
そういう訳ですよ
52番プレンデレ! ベーネ!! アッチェンデレ! ベーネ!!
デタラメなBPMを刻むハッピーコアの様に、音は響き、人は踊る。
それは圧倒的テンポであり、マグマでる。
湿気を感じさせない乾いた音ではない。
地下を想像も絶する速度で巡るマグマなのだ。
その熱量は、到底計り知れる物では無い。
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を覚えているだろうか。
そのワンシーンに「工場」の音で音楽を感じさせるシーンがある。
その厨房ヴァージョンなだけだ。
爽快感も胸を熱くさせる物も同等と言ってもいいかもしれない。
それだけで、もう十分じゃないか。
面白い事+αの一つの可能性を示している本作。
もちろん人物描写スリリングな展開ともに前作の麻雀漫画でおりがみつきなのは言うまでも無い。
珍しく無難な物を紹介するのだから、是非とも読んで頂きたい事は言うまでも無い。
そう思うわけですよ。
ISBN:409187553X コミック せきや てつじ 小学館 2006/01/30 ¥530
デタラメなBPMを刻むハッピーコアの様に、音は響き、人は踊る。
それは圧倒的テンポであり、マグマでる。
湿気を感じさせない乾いた音ではない。
地下を想像も絶する速度で巡るマグマなのだ。
その熱量は、到底計り知れる物では無い。
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を覚えているだろうか。
そのワンシーンに「工場」の音で音楽を感じさせるシーンがある。
その厨房ヴァージョンなだけだ。
爽快感も胸を熱くさせる物も同等と言ってもいいかもしれない。
それだけで、もう十分じゃないか。
面白い事+αの一つの可能性を示している本作。
もちろん人物描写スリリングな展開ともに前作の麻雀漫画でおりがみつきなのは言うまでも無い。
珍しく無難な物を紹介するのだから、是非とも読んで頂きたい事は言うまでも無い。
そう思うわけですよ。
ISBN:409187553X コミック せきや てつじ 小学館 2006/01/30 ¥530
五円玉の穴は誰が為にあるか、その位どうでもいい話
2006年2月23日よく、自分の体験した事や性格の話をする時に。
「そういえば(俺or私)の友達が」
と前置く人って居るじゃないですか。
うん、正に僕であり私の事なんですけどね。
でも、ちょっと考えてみたんですよ。
言わば九九と同じくらい日常的に使っているこの方程式なんですが、一体どんな意図が隠されているのだろうって。
するとまず目に付くのが最初の「そういえば」の部分なんです。
この「そういえば」。
明らかに受身の言葉ですよね。
相手が何か言った後の言葉ですよね。
会話は言葉のキャッチボールですし、受身だからと言っても特別な意味は無いと思います。
しかし、その後の「友達が」と続くのが不思議なんですよ。
急に第三者を持ち出して飛んできた球を後逸させる訳じゃないですか。
言わばピッチャーが投げた球をキャッチャーが一塁スタンドに投げちゃう様ですよ。
こりゃぁちょっと可笑しいじゃないか、ファンサービスも過ぎるんじゃないか、そう思うわけですよ。
何故にそんな不思議な現象が起こるのでしょうか?
と、ここでまた一つ気が付きました。
「そういえば友達が」
この方程式によって導かれる答えは、大抵の場合に大なり小なりリスクを孕んでいると言う事です。
つまり、この「そういえば友達が」の方程式は単に責任転嫁の常套手段であり、言わば卑劣と卑小の最たる証なんじゃないか。
と、まぁ。
こんな事を、そういえば友達が言っていた訳なんですよ。
いやはや、もうね、もうダメよっ。
もうそんな感じですわ。
と言う春原の友達の輪は常に何かにイチャモンを付けて暇を潰して過ごしているのです。
そんな日々の一ページから生まれた今回のイチャモン、もう突っ込み所満載じゃないですか。
「んじゃなんでそんな方程式を使ってわざわざ自分からリスクの有る話をするの?」
言ってやりましたよ。
論破してやったり気分満載ですよ。
そうしたら、物凄い答えが返ってきました。
「つまり、この[そういえば〜〜]を使う人間はMなんだよ」
ああ・・・。
なんか、やられたなぁって感じですよ。
反論をしようにもできないじゃないですか。
突っ込み所をわざと作ってそこに僕が突っ込むのを利用して結論を出されちゃった訳ですから、その結論を否定すると突っ込んだ僕の意見が矛盾している事になってしまう訳じゃないですか。
何か久しぶりにしてヤラレタ気がします。
それ以来この「そういえ〜〜Mである」は定説として仲間の輪の中で君臨しているのでした。
何か悔しいので誰かもっともな反論のある方は教えて欲しいものです。
負けっぱなしは健康に悪いが信条の春原は今日も復讐の梯子を待っている日々ですよ。
早く春にならないかな。
「そういえば(俺or私)の友達が」
と前置く人って居るじゃないですか。
うん、正に僕であり私の事なんですけどね。
でも、ちょっと考えてみたんですよ。
言わば九九と同じくらい日常的に使っているこの方程式なんですが、一体どんな意図が隠されているのだろうって。
するとまず目に付くのが最初の「そういえば」の部分なんです。
この「そういえば」。
明らかに受身の言葉ですよね。
相手が何か言った後の言葉ですよね。
会話は言葉のキャッチボールですし、受身だからと言っても特別な意味は無いと思います。
しかし、その後の「友達が」と続くのが不思議なんですよ。
急に第三者を持ち出して飛んできた球を後逸させる訳じゃないですか。
言わばピッチャーが投げた球をキャッチャーが一塁スタンドに投げちゃう様ですよ。
こりゃぁちょっと可笑しいじゃないか、ファンサービスも過ぎるんじゃないか、そう思うわけですよ。
何故にそんな不思議な現象が起こるのでしょうか?
と、ここでまた一つ気が付きました。
「そういえば友達が」
この方程式によって導かれる答えは、大抵の場合に大なり小なりリスクを孕んでいると言う事です。
つまり、この「そういえば友達が」の方程式は単に責任転嫁の常套手段であり、言わば卑劣と卑小の最たる証なんじゃないか。
と、まぁ。
こんな事を、そういえば友達が言っていた訳なんですよ。
いやはや、もうね、もうダメよっ。
もうそんな感じですわ。
と言う春原の友達の輪は常に何かにイチャモンを付けて暇を潰して過ごしているのです。
そんな日々の一ページから生まれた今回のイチャモン、もう突っ込み所満載じゃないですか。
「んじゃなんでそんな方程式を使ってわざわざ自分からリスクの有る話をするの?」
言ってやりましたよ。
論破してやったり気分満載ですよ。
そうしたら、物凄い答えが返ってきました。
「つまり、この[そういえば〜〜]を使う人間はMなんだよ」
ああ・・・。
なんか、やられたなぁって感じですよ。
反論をしようにもできないじゃないですか。
突っ込み所をわざと作ってそこに僕が突っ込むのを利用して結論を出されちゃった訳ですから、その結論を否定すると突っ込んだ僕の意見が矛盾している事になってしまう訳じゃないですか。
何か久しぶりにしてヤラレタ気がします。
それ以来この「そういえ〜〜Mである」は定説として仲間の輪の中で君臨しているのでした。
何か悔しいので誰かもっともな反論のある方は教えて欲しいものです。
負けっぱなしは健康に悪いが信条の春原は今日も復讐の梯子を待っている日々ですよ。
早く春にならないかな。
もう、僕には張れないフォルトレス
2006年2月21日近頃最近まったくオカシイのだ。
目が覚めても夢を覚えていることが多い。
思えば、僕は子供の頃から夢を見ない子供だったと思う。
寝る瞬間から起きる瞬間までが繋がっていたと記憶している。
だから学校などで友達の話を聞きながら「僕は損な人生だな」と気を落としたものだ。
やがて迎えた中学も、忙しかった高校受験も、その後の高校生活も、全部が全部を通して、夢は見たことが無いと思う。
そんな筋金入りの現実至上主義が、一体はてはて夢など見るようになってしまったのだろう。
特に原因として思い当たる事はないのだが。
僕は今までが夢を全く見ない人間だったから、今更にこんな夢を見るようになってもまったく嬉しくない。
世の常識としては夢とは良い物とされているようで、唯一の悪夢以外は大抵手放しに許容される傾向がある様に思える。
しかしながら、僕はいままで見なかった物があまりにも多発するので、逆に気持ちが悪いと思っているのだ。
二十歳を境に幽霊を見るようになった男の物語があったならば、僕はその男の心境がよく分かる気がする。
今日はこんな夢を見た。
僕は道を歩いていた。
朝焼けなのか夕焼けなのかは分からないが、赤い空が僕の影を伸ばしていたことはよく覚えている。
ここはどこだろう?
ああ、家に帰らないといけない。
知っているような知らない道を歩いていると、電柱の影がおかしい事に気が付いた。
道の両側に7mほどの間隔で生えている電柱の影は、それぞれが別の方向に伸びていた。
僕はそら恐ろしくなり、知らない道の路地へと足を速めた。
すると、そこには昔に住んでいた一軒家があった。
モルタルの壁は苔むしていて、トタンの屋根とよく合った色をしていた。
僕はすぐに玄関をくぐり、土足のまま二階へ向かった。
黄ばんだ障子の扉が左右に2つ、僕の部屋は右の部屋だ。
僕は迷わず右の障子を開けた。
そこには布団が敷いてあり、誰か寝ていた。
ああ、僕の部屋で誰だろう。
沈むのか上るのか分からない太陽の光では、僕の部屋は薄暗いままだ。
電気を点けよう。
電球から垂れた紐を引こうと、僕は布団に近づいた。
ふっと、顔が見えた。
僕だった。
そこには僕が寝ていた。
こんな夢は良い夢なのか悪い夢なのかは、経験の無い僕には判断が出来ないのだが、それにしても気持ちが悪い事は確かなのだ。
いやはや、夢なんて見るもんじゃないね。
そう思います。
目が覚めても夢を覚えていることが多い。
思えば、僕は子供の頃から夢を見ない子供だったと思う。
寝る瞬間から起きる瞬間までが繋がっていたと記憶している。
だから学校などで友達の話を聞きながら「僕は損な人生だな」と気を落としたものだ。
やがて迎えた中学も、忙しかった高校受験も、その後の高校生活も、全部が全部を通して、夢は見たことが無いと思う。
そんな筋金入りの現実至上主義が、一体はてはて夢など見るようになってしまったのだろう。
特に原因として思い当たる事はないのだが。
僕は今までが夢を全く見ない人間だったから、今更にこんな夢を見るようになってもまったく嬉しくない。
世の常識としては夢とは良い物とされているようで、唯一の悪夢以外は大抵手放しに許容される傾向がある様に思える。
しかしながら、僕はいままで見なかった物があまりにも多発するので、逆に気持ちが悪いと思っているのだ。
二十歳を境に幽霊を見るようになった男の物語があったならば、僕はその男の心境がよく分かる気がする。
今日はこんな夢を見た。
僕は道を歩いていた。
朝焼けなのか夕焼けなのかは分からないが、赤い空が僕の影を伸ばしていたことはよく覚えている。
ここはどこだろう?
ああ、家に帰らないといけない。
知っているような知らない道を歩いていると、電柱の影がおかしい事に気が付いた。
道の両側に7mほどの間隔で生えている電柱の影は、それぞれが別の方向に伸びていた。
僕はそら恐ろしくなり、知らない道の路地へと足を速めた。
すると、そこには昔に住んでいた一軒家があった。
モルタルの壁は苔むしていて、トタンの屋根とよく合った色をしていた。
僕はすぐに玄関をくぐり、土足のまま二階へ向かった。
黄ばんだ障子の扉が左右に2つ、僕の部屋は右の部屋だ。
僕は迷わず右の障子を開けた。
そこには布団が敷いてあり、誰か寝ていた。
ああ、僕の部屋で誰だろう。
沈むのか上るのか分からない太陽の光では、僕の部屋は薄暗いままだ。
電気を点けよう。
電球から垂れた紐を引こうと、僕は布団に近づいた。
ふっと、顔が見えた。
僕だった。
そこには僕が寝ていた。
こんな夢は良い夢なのか悪い夢なのかは、経験の無い僕には判断が出来ないのだが、それにしても気持ちが悪い事は確かなのだ。
いやはや、夢なんて見るもんじゃないね。
そう思います。
非日常的とは言い難い、日常。
2006年2月19日ちょっと無理に笑ってるだけ言いたい事も言ってるだけ
「楽しそうだね」そう言われる事にしがみついてるだけ。
近頃の最近は、何か忙しい気がする。
おかげさまで使いたい台詞の上位陣が乱発できたのは役得とも言えるのだろうか。
いやはや、実際の所で日常で使える台詞とはナカナカ限られてくるものだ。
その人のキャラクタとその場の雰囲気やらなんやらで、そうおいそれとは使えない事も多い。
勿論、僕ほどになれば極々日常で「エロ猿モンキーが!」やら「ダブルヘッダーは辛いぜ」やらを使えるのだが、慣れない人はいつまでたってもカサハムニダ
あぁ、鳴らない電話が欲しい。
ねむいめむいよ、ママン
やねい、ねむい。
うぅ・・・
わけわからんくなってきました
落ち、、pもつけづに終わるのは流儀に反するのに
くっそおおお
ふぁっきふぁっけんもあふぁっけよ・・・。
あzっずはぁげんかいだ・;
ごめmmまた今度って事にしておいてください・
「楽しそうだね」そう言われる事にしがみついてるだけ。
近頃の最近は、何か忙しい気がする。
おかげさまで使いたい台詞の上位陣が乱発できたのは役得とも言えるのだろうか。
いやはや、実際の所で日常で使える台詞とはナカナカ限られてくるものだ。
その人のキャラクタとその場の雰囲気やらなんやらで、そうおいそれとは使えない事も多い。
勿論、僕ほどになれば極々日常で「エロ猿モンキーが!」やら「ダブルヘッダーは辛いぜ」やらを使えるのだが、慣れない人はいつまでたってもカサハムニダ
あぁ、鳴らない電話が欲しい。
ねむいめむいよ、ママン
やねい、ねむい。
うぅ・・・
わけわからんくなってきました
落ち、、pもつけづに終わるのは流儀に反するのに
くっそおおお
ふぁっきふぁっけんもあふぁっけよ・・・。
あzっずはぁげんかいだ・;
ごめmmまた今度って事にしておいてください・
久々と侘びと寂びとキーボードの染み
2006年2月18日そう、久ぶりに通常に日記を書いてみようと思った。
つっても、批評も何もシテナイいつもの日記とあまり変わらない事は言わずもがなだが。
読んでない本の話をしてみよう。
うん、これは面白い。
ここで読んでも無いのに偉そうな事をのらりくらり。
一体全体に読んだらどうなるのだろうか。
読前のリアルな感情を後で楽しむ為にもここに書き込む行為は非常に面白そうだ。
異論は僕の頭には浮かばないし、電波も飛んでこないので、これは構わず執行すべきです。
「東京タワー」
うん、すげー知名度あるよね。
僕も確かにリリーさんは大好きだから、買おう買おうと思っているんだけど、なんだか売れに売れてるから逆に読みたくなくなってしまった訳ですけど。
でもでもリリーさんは面白い事は認めよう。
確か出会いはBOMBだかBOBMだかの雑誌のコラムだと思う。
友達の家のトイレに置いてあったその雑誌のリリー文に僕は便通を覚えた事は確かな話だと思う。
んまぁ、出会いは非常に臭い話だし今更賛美をしてもしかたない、ここは割愛しよう。
そんな衝撃的な処女的ショックな出会いの果てに、僕はリリーさんをテレビ番組で発見した。
リリーさんは物まねをしていたのだ、共演者達は何の物まねか分からない様で苦笑い愛想笑いの2面相だったが、僕はその物まねに大爆笑していた。
そう、松尾スズキの物まねであった。
いやね、ゴールデンタイムにまだ知名度の低かった松尾スズキの物まねを持ってくるリリーさんの胆力、そして狭い狭い分かる層をも唸らせる再現力、いやはや驚きを含んだ笑いなどナカナカ出るものではないんじゃないかな。
やや掠れそうな声質と何故か胡散臭い口調は正に松尾スズキそのものであった、そう、僕はその力量と選出センスに惚れたのだ、つまりリリーフランキーに。
そんなリリーフランキーが感動して涙チョチョ切れちまう小説を書いたっつぅんだから、これまた胡散臭くてしかたねぇ。
単なるお涙頂戴物じゃぁ無いとは思う。
むしろ入り口から「これはコラムだぜ!胡散臭いぜ!」的な雰囲気をばら撒きつつ、素朴な感動のパーツを伏線にもならぬ程度に混ぜておいてるんじゃ無いのだろうか。
そして、最終的に「別れ」的な要素を前面に打ち出して行くのではなかろうか。
大切なものは近くにあって、大切にしないとアカンで!的な青い鳥がバッタバッタ羽ばたくんじゃなかろうか。
うーん。。。。われながら安易な想像だ・・・。
願わくば僕の予想の3段は上を行って欲しい。
ハードルは上げたくは無いが、もしも「東京タワー」が売れて無くても僕はリリーフランキーと言う時点で期待してしまう。
これは致し方ないし。僕には期待するしかできない。
んあぁそのうち読んでみます。
多分、たぶん。
絶対に。
つっても、批評も何もシテナイいつもの日記とあまり変わらない事は言わずもがなだが。
読んでない本の話をしてみよう。
うん、これは面白い。
ここで読んでも無いのに偉そうな事をのらりくらり。
一体全体に読んだらどうなるのだろうか。
読前のリアルな感情を後で楽しむ為にもここに書き込む行為は非常に面白そうだ。
異論は僕の頭には浮かばないし、電波も飛んでこないので、これは構わず執行すべきです。
「東京タワー」
うん、すげー知名度あるよね。
僕も確かにリリーさんは大好きだから、買おう買おうと思っているんだけど、なんだか売れに売れてるから逆に読みたくなくなってしまった訳ですけど。
でもでもリリーさんは面白い事は認めよう。
確か出会いはBOMBだかBOBMだかの雑誌のコラムだと思う。
友達の家のトイレに置いてあったその雑誌のリリー文に僕は便通を覚えた事は確かな話だと思う。
んまぁ、出会いは非常に臭い話だし今更賛美をしてもしかたない、ここは割愛しよう。
そんな衝撃的な処女的ショックな出会いの果てに、僕はリリーさんをテレビ番組で発見した。
リリーさんは物まねをしていたのだ、共演者達は何の物まねか分からない様で苦笑い愛想笑いの2面相だったが、僕はその物まねに大爆笑していた。
そう、松尾スズキの物まねであった。
いやね、ゴールデンタイムにまだ知名度の低かった松尾スズキの物まねを持ってくるリリーさんの胆力、そして狭い狭い分かる層をも唸らせる再現力、いやはや驚きを含んだ笑いなどナカナカ出るものではないんじゃないかな。
やや掠れそうな声質と何故か胡散臭い口調は正に松尾スズキそのものであった、そう、僕はその力量と選出センスに惚れたのだ、つまりリリーフランキーに。
そんなリリーフランキーが感動して涙チョチョ切れちまう小説を書いたっつぅんだから、これまた胡散臭くてしかたねぇ。
単なるお涙頂戴物じゃぁ無いとは思う。
むしろ入り口から「これはコラムだぜ!胡散臭いぜ!」的な雰囲気をばら撒きつつ、素朴な感動のパーツを伏線にもならぬ程度に混ぜておいてるんじゃ無いのだろうか。
そして、最終的に「別れ」的な要素を前面に打ち出して行くのではなかろうか。
大切なものは近くにあって、大切にしないとアカンで!的な青い鳥がバッタバッタ羽ばたくんじゃなかろうか。
うーん。。。。われながら安易な想像だ・・・。
願わくば僕の予想の3段は上を行って欲しい。
ハードルは上げたくは無いが、もしも「東京タワー」が売れて無くても僕はリリーフランキーと言う時点で期待してしまう。
これは致し方ないし。僕には期待するしかできない。
んあぁそのうち読んでみます。
多分、たぶん。
絶対に。
「7年越しの恋が実った気分です」
「あー・・・、そう言えばアンタって未だに頑張ってたんだっけ」
「はい、ブームの後も地道に呼び出し掛けてたんですよ」
「ふーん、アンタも何ていうか・・・マメよね」
「ライフワークでしたから・・・」
「しかしまた7年もどこで道草食ってたんだか、この大ちゃんは」
「道に迷っちゃったりしちゃったんですよ」
「んまぁ実際来ちゃったんだからデモもストも無いけどさ、それにつけても今更来なくても良いのに」
「私はこれで本望ですよ」
「はぁ、恐怖の大王現るってのはこの事だわね」
大陸は裂け、海は枯れ、空は太陽が昇らなくなった。
そんな時に言いたい台詞がある。
そんな事を、妄想の事態を想定して台詞を考えるのは酷く楽しい事を僕は言いたい。
もしも、現実として序文の様な事が現実として起こったならば、僕はその必迫とした状況に飲まれてしまい、妄想として考えた台詞などは出てこないだろう。
だから今、セーフィティーを楽しむがの如く、こうやって台詞を考えるのだ。
では、今回の「今日の5の2」。
これも今現在の自分から、過去の自分を省みて楽しめる作品と言える。
言わばそうそう起こりえぬ状況を想像しつつも、そんな妄想とも言える状況を自分がかつて体験してきたリアルな経験と照らし合わせてみる。
そうすると自ずと明らかなズレ、言わばギャップが生じるのだ。
そのギャップは確固として存在するが、それを楽しむ事は可能なのだ。
「あの時ああすれば・・・」
「あっちを選んでれば・・・」
過去を悔やんだとしても、決して過去は修正できない。
しかしながらも人は過去を思うのだ。
後悔と言う矛盾漢字が存在する以上、その修正できないリアルな過去と妄想する過去のギャップには何かしら魅力があるのでは無いだろうか。
うん、多分無いね・・・。
どうなんだろうね。
もう、どっちでもいいや。
って、そんなグダグダ感を楽しむのも新成人たる勤めだと思う訳ですよ。
うん、言ってみたかっただけだけどね。
「あー・・・、そう言えばアンタって未だに頑張ってたんだっけ」
「はい、ブームの後も地道に呼び出し掛けてたんですよ」
「ふーん、アンタも何ていうか・・・マメよね」
「ライフワークでしたから・・・」
「しかしまた7年もどこで道草食ってたんだか、この大ちゃんは」
「道に迷っちゃったりしちゃったんですよ」
「んまぁ実際来ちゃったんだからデモもストも無いけどさ、それにつけても今更来なくても良いのに」
「私はこれで本望ですよ」
「はぁ、恐怖の大王現るってのはこの事だわね」
大陸は裂け、海は枯れ、空は太陽が昇らなくなった。
そんな時に言いたい台詞がある。
そんな事を、妄想の事態を想定して台詞を考えるのは酷く楽しい事を僕は言いたい。
もしも、現実として序文の様な事が現実として起こったならば、僕はその必迫とした状況に飲まれてしまい、妄想として考えた台詞などは出てこないだろう。
だから今、セーフィティーを楽しむがの如く、こうやって台詞を考えるのだ。
では、今回の「今日の5の2」。
これも今現在の自分から、過去の自分を省みて楽しめる作品と言える。
言わばそうそう起こりえぬ状況を想像しつつも、そんな妄想とも言える状況を自分がかつて体験してきたリアルな経験と照らし合わせてみる。
そうすると自ずと明らかなズレ、言わばギャップが生じるのだ。
そのギャップは確固として存在するが、それを楽しむ事は可能なのだ。
「あの時ああすれば・・・」
「あっちを選んでれば・・・」
過去を悔やんだとしても、決して過去は修正できない。
しかしながらも人は過去を思うのだ。
後悔と言う矛盾漢字が存在する以上、その修正できないリアルな過去と妄想する過去のギャップには何かしら魅力があるのでは無いだろうか。
うん、多分無いね・・・。
どうなんだろうね。
もう、どっちでもいいや。
って、そんなグダグダ感を楽しむのも新成人たる勤めだと思う訳ですよ。
うん、言ってみたかっただけだけどね。
例えば、誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は、誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
地上最強を目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度は地上最強を志す。
地上最強など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者は生まれてすぐに。
ある者は父親のゲンコツに。
ある者はガキ大将の腕力に。
ある者は世界チャンピオンの実力に屈して。
それぞれが最強の座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。
医者 政治家 実業家 パイロット 教師。
しかし、あきらめなかった者がいる。
この地上で誰よりも。
誰よりも。
最強を望んだ。
偉大なバカヤロウが。
OKOK。
そんな地上最強も分かる、よーく分かる。
でも、ここで重要なのは最強じゃない。
最強に成れなかった場合の話だ。
武道を習う者が最初に教わる教訓にこんな物がある。
「まず、自分を守れ」
そう、他人は2番なのだ。
それはとても正しいし、ひどく現実的で実用的な教えだ。
理想論をいくら語っても、直接的な暴力には完全に無効なのは中学校を卒業した人なら分かっていると思う。
だが、それでも。
何故か人は他人を守りたくなってしまうのだ。
最強になった人も、成れなかった人も。
等しくこの感情は備わってしまう。
それがヒーローなのだからしかたないのかもしれない。
正義のヒーローを目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度はヒーローを志す。
正義の味方など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者はポイ捨てタバコに。
ある者は苛められっこを取り巻く輪に。
ある者は上級生の暴力に。
ある者は会社内部に組み込まれて。
それぞれがヒーローの座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。
でもヒーローになりたい。
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられてゆく
違う
僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ
だから、僕も誰も彼も彼女も。
みんなヒーローに成りたい訳ですよ。
成りたいって感情が有る訳ですよ。
だったらヴィンランド・サガを見てみたいって感情も。
そうそう理解できなくも無いことは言うまでも無いわけですよ。
ISBN:4063635597 コミック 幸村 誠 講談社 2005/07/15 ¥440
僕は、誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ
地上最強を目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度は地上最強を志す。
地上最強など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者は生まれてすぐに。
ある者は父親のゲンコツに。
ある者はガキ大将の腕力に。
ある者は世界チャンピオンの実力に屈して。
それぞれが最強の座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。
医者 政治家 実業家 パイロット 教師。
しかし、あきらめなかった者がいる。
この地上で誰よりも。
誰よりも。
最強を望んだ。
偉大なバカヤロウが。
OKOK。
そんな地上最強も分かる、よーく分かる。
でも、ここで重要なのは最強じゃない。
最強に成れなかった場合の話だ。
武道を習う者が最初に教わる教訓にこんな物がある。
「まず、自分を守れ」
そう、他人は2番なのだ。
それはとても正しいし、ひどく現実的で実用的な教えだ。
理想論をいくら語っても、直接的な暴力には完全に無効なのは中学校を卒業した人なら分かっていると思う。
だが、それでも。
何故か人は他人を守りたくなってしまうのだ。
最強になった人も、成れなかった人も。
等しくこの感情は備わってしまう。
それがヒーローなのだからしかたないのかもしれない。
正義のヒーローを目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度はヒーローを志す。
正義の味方など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者はポイ捨てタバコに。
ある者は苛められっこを取り巻く輪に。
ある者は上級生の暴力に。
ある者は会社内部に組み込まれて。
それぞれがヒーローの座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。
でもヒーローになりたい。
駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられてゆく
違う
僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ
だから、僕も誰も彼も彼女も。
みんなヒーローに成りたい訳ですよ。
成りたいって感情が有る訳ですよ。
だったらヴィンランド・サガを見てみたいって感情も。
そうそう理解できなくも無いことは言うまでも無いわけですよ。
ISBN:4063635597 コミック 幸村 誠 講談社 2005/07/15 ¥440
たとえば、いや。
例える間でも無く、誰が物のために死ねようか。
そう、誰も厳密な意味で物の為に死ぬことは無い。
人は物の染み付いた情念の為に死ぬのだ。
もしも神の視点で世の中を見るとすれば。
500円も500ウォンも500ドルも全て等しい。
ただ、僕らはそれらを等価交換する事は無い。
7枚交換どころか3000枚交換ってレベルのお話になる。
その7枚と3000枚の間には何があるんだろうか。
それを知るのは世の中を知るに等しい尊大な行為なのかもしれない。
愚民化政策真っ最中の昨今はそんな1+1に等しい大事な問題の解を知るために。
「へうげもの」を読んでみるのもいいかもしれない。
ISBN:4063724875 コミック 山田 芳裕 講談社 2005/12/22 ¥540
例える間でも無く、誰が物のために死ねようか。
そう、誰も厳密な意味で物の為に死ぬことは無い。
人は物の染み付いた情念の為に死ぬのだ。
もしも神の視点で世の中を見るとすれば。
500円も500ウォンも500ドルも全て等しい。
ただ、僕らはそれらを等価交換する事は無い。
7枚交換どころか3000枚交換ってレベルのお話になる。
その7枚と3000枚の間には何があるんだろうか。
それを知るのは世の中を知るに等しい尊大な行為なのかもしれない。
愚民化政策真っ最中の昨今はそんな1+1に等しい大事な問題の解を知るために。
「へうげもの」を読んでみるのもいいかもしれない。
ISBN:4063724875 コミック 山田 芳裕 講談社 2005/12/22 ¥540
西尾維新の出世作なら
さっき僕がネットで見つけておいたから
滝本の話をしよう
眠ってしまうにはまだ早いだろう
この本を見てるのは
君と僕と あと何人いるかな
ある人は泣いているだろう
ある人はnyでもしてるんだろう
子供らをヒキコモリに ニートにもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも社会的に 絶対弱者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?
引き篭もりの星と、少々に古い言い方をするなればそうなるのかもしれない。
はてはて、はたして、その星は一体なんだったのだろうか。
勿論、空を輝く星と言う意味では無いのだろう。
ただ、輝くと言う所を引用して星と表現しているのだろうか。
いやはや、それはどうだろう。
果たして空に輝く星を見上げるヒキコモリなど、一体どれほどいるだろう。
都会と田舎のヒキコモリ分布数の変化を持ち出さずとも、家から出ないのが引きこもりと定義するならば、ヒキコモリは空を見上げることなど有ってはならないはずだ。
いやいや、早計かもしれない。
夜中ならば出る事もあるのではなかろうか。
違う、そうじゃない。
そう、滝本竜彦の冠された星とは。
詰まるところ電子の星と言えるのではないだろうか。
モニターに映る虚構や妄想や恍惚。
それらの光と闇が紡ぎ出す表情に僕らは夢中なのは言うまでも無い。
老若男女、すべからくを虜にする電子の情報は鮮度満点でデリバリーされている。
そんな電子の星に滝本はなったのではないだろうか。
いつ消えてもおかしくない情報の集まりはそれだから美しいのかもしれない。
最後は電子の海の藻屑と消えるならば、星もそうなるのかもしれない。
電子の星も所詮は劣化も風化もする暇も無く藻屑と消えるのだ。
それならば、それならば、美しくなくてはならないのだ。
だから皮肉も下卑もこめずに、滝本作品を読んであげてもいいんじゃないかな。
なんつぅか、そう思う。
んー。
特に具体的に言うことが無いとこんなカラッポな文になってしまう訳なんですね。
言うなれば「毎回毎回展開一緒」
んまぁ、お約束も美学の一つだと思うわけですが。
さっき僕がネットで見つけておいたから
滝本の話をしよう
眠ってしまうにはまだ早いだろう
この本を見てるのは
君と僕と あと何人いるかな
ある人は泣いているだろう
ある人はnyでもしてるんだろう
子供らをヒキコモリに ニートにもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも社会的に 絶対弱者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?
引き篭もりの星と、少々に古い言い方をするなればそうなるのかもしれない。
はてはて、はたして、その星は一体なんだったのだろうか。
勿論、空を輝く星と言う意味では無いのだろう。
ただ、輝くと言う所を引用して星と表現しているのだろうか。
いやはや、それはどうだろう。
果たして空に輝く星を見上げるヒキコモリなど、一体どれほどいるだろう。
都会と田舎のヒキコモリ分布数の変化を持ち出さずとも、家から出ないのが引きこもりと定義するならば、ヒキコモリは空を見上げることなど有ってはならないはずだ。
いやいや、早計かもしれない。
夜中ならば出る事もあるのではなかろうか。
違う、そうじゃない。
そう、滝本竜彦の冠された星とは。
詰まるところ電子の星と言えるのではないだろうか。
モニターに映る虚構や妄想や恍惚。
それらの光と闇が紡ぎ出す表情に僕らは夢中なのは言うまでも無い。
老若男女、すべからくを虜にする電子の情報は鮮度満点でデリバリーされている。
そんな電子の星に滝本はなったのではないだろうか。
いつ消えてもおかしくない情報の集まりはそれだから美しいのかもしれない。
最後は電子の海の藻屑と消えるならば、星もそうなるのかもしれない。
電子の星も所詮は劣化も風化もする暇も無く藻屑と消えるのだ。
それならば、それならば、美しくなくてはならないのだ。
だから皮肉も下卑もこめずに、滝本作品を読んであげてもいいんじゃないかな。
なんつぅか、そう思う。
んー。
特に具体的に言うことが無いとこんなカラッポな文になってしまう訳なんですね。
言うなれば「毎回毎回展開一緒」
んまぁ、お約束も美学の一つだと思うわけですが。
ハデー・ヘンドリックス物語
2006年1月27日 読書
「何をグズグズしてやがるんだ、てめーもさっさと楽器を置いて手をあげろ! 撃ち殺されてーのか!」
ドラムとベースは既に楽器を捨て、降伏の姿勢を取っていた。
残るはボーカルのハデー・ヘンドリックスだけ。
迫る警官の拳銃、ガラス越しに向けられた銃口はハデーの脳天を向いていた。
「おい、聞こえねーのか!楽器を置けって言ってんだよ!」
しかし、ハデーは動かない。
何かを諦めた様な、何かを悩んでいるような表情で目を瞑り。
それでもその左手はFマイナーを押さえていた。
「おい!ハデヘン!そいつの言う通りにするんだ!!!これ以上突っ張るのはクールじゃねぇ、ただのフールだ!!!」
命あっても物種か、ベースのジョニーは両手を上げながらハデーに叫んだ。
「す・・・すまねぇジョニー、分かっちゃいるんだけどよ、これ以上つっぱるのはただの馬鹿だって分かっちゃいるんだけどよ・・・止められねんだよ、こみ上げてくる熱いものを・・・」
ゆっくりと振り向き、目を開くハデー。
そこに迷いは無く、言葉があった。
「今ここでやめちまったらよー、不完全燃焼でオレのロック魂が一酸化炭素中毒起こして冷たいオン・ザ・ロックになっちまいそうなんだ・・・・・・へへへ、なかなかクールだろ、今のギャグ」
「!!」
「お・・・おまえまさか!!」
イエーイ!!!
ニッポンあげるお返しに!!!ギブミーチョコ!ギブミーガム!おくれよおくれよ兵隊さん!!!
コピー多用のループ漫画。
それが漫●画太郎である事は誰もが知っている事実だと思う。
しかし、コピー多用のどこが悪いのだろうか。
手抜きの代表格とも言えるコピーだが。
使う人が使えば、それは立派な表現の武器になるのでは無いだろうか。
確かに背景が白かったりキャラが下書きだったりの手抜きの謗りを受ける諸刃の剣である事は否定できないが。
世の中にはそんな諸刃の剣を使いこなす事を許された一握りの天才が居る事も否定できない。
その一人が間違いなく画太郎で有る事は事実なのだ。
それだけで、十分にブラブラボーであり、イナフであるのではないだろうか。
数々の名言を残している画太郎作品。
ちなみに春原がよく使う名言は、「そんなかお、にあいませんよおにいさん」なのは言うまでもないと思う訳ですよ。
ドラムとベースは既に楽器を捨て、降伏の姿勢を取っていた。
残るはボーカルのハデー・ヘンドリックスだけ。
迫る警官の拳銃、ガラス越しに向けられた銃口はハデーの脳天を向いていた。
「おい、聞こえねーのか!楽器を置けって言ってんだよ!」
しかし、ハデーは動かない。
何かを諦めた様な、何かを悩んでいるような表情で目を瞑り。
それでもその左手はFマイナーを押さえていた。
「おい!ハデヘン!そいつの言う通りにするんだ!!!これ以上突っ張るのはクールじゃねぇ、ただのフールだ!!!」
命あっても物種か、ベースのジョニーは両手を上げながらハデーに叫んだ。
「す・・・すまねぇジョニー、分かっちゃいるんだけどよ、これ以上つっぱるのはただの馬鹿だって分かっちゃいるんだけどよ・・・止められねんだよ、こみ上げてくる熱いものを・・・」
ゆっくりと振り向き、目を開くハデー。
そこに迷いは無く、言葉があった。
「今ここでやめちまったらよー、不完全燃焼でオレのロック魂が一酸化炭素中毒起こして冷たいオン・ザ・ロックになっちまいそうなんだ・・・・・・へへへ、なかなかクールだろ、今のギャグ」
「!!」
「お・・・おまえまさか!!」
イエーイ!!!
ニッポンあげるお返しに!!!ギブミーチョコ!ギブミーガム!おくれよおくれよ兵隊さん!!!
コピー多用のループ漫画。
それが漫●画太郎である事は誰もが知っている事実だと思う。
しかし、コピー多用のどこが悪いのだろうか。
手抜きの代表格とも言えるコピーだが。
使う人が使えば、それは立派な表現の武器になるのでは無いだろうか。
確かに背景が白かったりキャラが下書きだったりの手抜きの謗りを受ける諸刃の剣である事は否定できないが。
世の中にはそんな諸刃の剣を使いこなす事を許された一握りの天才が居る事も否定できない。
その一人が間違いなく画太郎で有る事は事実なのだ。
それだけで、十分にブラブラボーであり、イナフであるのではないだろうか。
数々の名言を残している画太郎作品。
ちなみに春原がよく使う名言は、「そんなかお、にあいませんよおにいさん」なのは言うまでもないと思う訳ですよ。
・・・・・・・。
生理的にイヤ・・・・・・って言われるのか・・・・・・?
オレはそれを、男にも・・・・・・・・・・?
・・・・・・・。
へ・・・・・・へこむ・・・・・・・。
例えばの話。
とある日の晴れた午後に目が覚めたとしよう。
朦朧とした寝起きの意識からは完全に脱し、冷静になった頭が今日は休みだと言う事に気が付いた瞬間。
もしも、もしも。
予定が無かったらどうする?
何年も前から仕事の無い日を一人で鬱屈と過ごす事が通例と無意識に刷り込まれていたら、どうする?
やや時期外れの香りもする本作の紹介タイミングですが。
それにつけても名作は名作ですし、いいんじゃないですか。
昔からよく言うじゃないですか。
古典や名作は塩を舐めるが様に味わえ、と。
子供の頃に読んだあの凡作が、人生の艱難辛苦を味わった時に名作に変わる事なんてよくある話です。
つまりにつまった話、心を揺さぶる名作は。
心を揺さぶられる人間にしか名作にはならないのです。
ならば心を揺さぶる要素とは?
そう、辛い事や悲しい事や嬉しい事や楽しい事なのです。
逆説を申せば感情の基礎を作るのは、やはり経験であって。
本を捨てなければ本を楽しめないのです。
僕もいつの日か。
本作を本当の意味での名作として味わえる事が来るのかもしれません。
そんな日が楽しみでもあり、楽しみでも無い事を恐れず否定しません。
んまぁ、歳は食いたくねぇモンだなって。
そういう訳ですよ。
ISBN:4091870457 コミック 福本 伸行 小学館 2004/11/30 ¥530
生理的にイヤ・・・・・・って言われるのか・・・・・・?
オレはそれを、男にも・・・・・・・・・・?
・・・・・・・。
へ・・・・・・へこむ・・・・・・・。
例えばの話。
とある日の晴れた午後に目が覚めたとしよう。
朦朧とした寝起きの意識からは完全に脱し、冷静になった頭が今日は休みだと言う事に気が付いた瞬間。
もしも、もしも。
予定が無かったらどうする?
何年も前から仕事の無い日を一人で鬱屈と過ごす事が通例と無意識に刷り込まれていたら、どうする?
やや時期外れの香りもする本作の紹介タイミングですが。
それにつけても名作は名作ですし、いいんじゃないですか。
昔からよく言うじゃないですか。
古典や名作は塩を舐めるが様に味わえ、と。
子供の頃に読んだあの凡作が、人生の艱難辛苦を味わった時に名作に変わる事なんてよくある話です。
つまりにつまった話、心を揺さぶる名作は。
心を揺さぶられる人間にしか名作にはならないのです。
ならば心を揺さぶる要素とは?
そう、辛い事や悲しい事や嬉しい事や楽しい事なのです。
逆説を申せば感情の基礎を作るのは、やはり経験であって。
本を捨てなければ本を楽しめないのです。
僕もいつの日か。
本作を本当の意味での名作として味わえる事が来るのかもしれません。
そんな日が楽しみでもあり、楽しみでも無い事を恐れず否定しません。
んまぁ、歳は食いたくねぇモンだなって。
そういう訳ですよ。
ISBN:4091870457 コミック 福本 伸行 小学館 2004/11/30 ¥530
新年あけましておメメタァと僕といっしょ
2006年1月6日 読書
門松は死出の旅路の一里塚。
めでたくもあり、めでたくもなし。
そう、年が明けちまった。
俺の中じゃまだまだ来て欲しくは無かった2006。
んまぁ地球はみんなの物だからしょうがねぇか。
毎年の様に来る新年メールをながめるたびに。
切り捨てられた友達と切り捨てられた俺が居る。
そんな事をいちいち認識させてくれる毎年の新年メールは実に偉大じゃないかな。
「ああ、もうこいつとは何ヶ月も連絡とってねーし、送らなくていいや」
そうやって疎遠スパイラルを形成する現代人。
年の一番最初の選定と割礼の儀式を経て、僕らはまた大人になってしまうのかもしれない。
そんなある日の1月6日。
あと3日後に成人式を控えた俺の元に男が尋ねてきた。
ああ、こいつは・・・。
立てば茄子、座れば南瓜、歩く姿は豆タンク。
中学時代に散々からかって来たクラスメイトだった。
恐らくノストラダムスの予言を最も信じて渇望していた奴だ。
面影はだいぶ残っていたし、特有の負のオーラも有った気がするる、だから俺はほんの数秒程度の戸惑いしか感じなかった。
しかし、何でまた俺んとこなんかにきたんやろ。
「おめぇどしたんよ、久しぶりたぁこの事だけどよ、よく俺んちわかったな」
ありきたりな挨拶を軽くしたつもりだったが。
だけど、俺は戸惑っていた。
なぜか分からないが戸惑っていた。
「いやさ俺さ、結婚したんだよ。でさ、成人式出れないからさ、とりあえず近場の奴に挨拶だけしようと思ってな、それで君の家に来たんだよ」
奴は大人に成っていた。
俺の数段上を行って、尚且つ過去の自分の暗黒時代のわざわざ終止符を打っていたのだ。
俺に残された引きつる笑顔と引き換えに奴は完全に歩き出した。
過去の清算をし終わった奴は、その有り余るエネルギーで更に前進するのだろう。
俺は完全に残された。
思えば生まれてこの方19年。
その日を生きるのにいっぱいいっぱいで。
俺は沢山の幸せをスルーしてきたのかもしれない。
踊る阿呆に見る阿呆、色々見てきたが。
俺はその様を見られるのを恐れていた。
多分、俺が一番馬鹿なのだろうか。
ISBN:4063367525 コミック 古谷 実 講談社 1998/08 ¥530
めでたくもあり、めでたくもなし。
そう、年が明けちまった。
俺の中じゃまだまだ来て欲しくは無かった2006。
んまぁ地球はみんなの物だからしょうがねぇか。
毎年の様に来る新年メールをながめるたびに。
切り捨てられた友達と切り捨てられた俺が居る。
そんな事をいちいち認識させてくれる毎年の新年メールは実に偉大じゃないかな。
「ああ、もうこいつとは何ヶ月も連絡とってねーし、送らなくていいや」
そうやって疎遠スパイラルを形成する現代人。
年の一番最初の選定と割礼の儀式を経て、僕らはまた大人になってしまうのかもしれない。
そんなある日の1月6日。
あと3日後に成人式を控えた俺の元に男が尋ねてきた。
ああ、こいつは・・・。
立てば茄子、座れば南瓜、歩く姿は豆タンク。
中学時代に散々からかって来たクラスメイトだった。
恐らくノストラダムスの予言を最も信じて渇望していた奴だ。
面影はだいぶ残っていたし、特有の負のオーラも有った気がするる、だから俺はほんの数秒程度の戸惑いしか感じなかった。
しかし、何でまた俺んとこなんかにきたんやろ。
「おめぇどしたんよ、久しぶりたぁこの事だけどよ、よく俺んちわかったな」
ありきたりな挨拶を軽くしたつもりだったが。
だけど、俺は戸惑っていた。
なぜか分からないが戸惑っていた。
「いやさ俺さ、結婚したんだよ。でさ、成人式出れないからさ、とりあえず近場の奴に挨拶だけしようと思ってな、それで君の家に来たんだよ」
奴は大人に成っていた。
俺の数段上を行って、尚且つ過去の自分の暗黒時代のわざわざ終止符を打っていたのだ。
俺に残された引きつる笑顔と引き換えに奴は完全に歩き出した。
過去の清算をし終わった奴は、その有り余るエネルギーで更に前進するのだろう。
俺は完全に残された。
思えば生まれてこの方19年。
その日を生きるのにいっぱいいっぱいで。
俺は沢山の幸せをスルーしてきたのかもしれない。
踊る阿呆に見る阿呆、色々見てきたが。
俺はその様を見られるのを恐れていた。
多分、俺が一番馬鹿なのだろうか。
ISBN:4063367525 コミック 古谷 実 講談社 1998/08 ¥530
それは愛じゃない。
愛されるより愛したい、マージーでー。
そう、不条理=シュールでは無いのだ。
少々、似てはいるが。
違う物なのだ。
愛が有るかとか、靴の先とか。
不条理アニメーションの先駆けとなったのは恐らく本作なのだろう。
自らを実験アニメーションと銘打って多少の自虐を内包しているが、それでも不条理アニメーションのパイオニアの謗りやら栄光を冠に頂くに相応しい。
元々、不条理を芸風にした漫画や小説は多い。
メジャー所を挙げるとすれば、「無敵の二人」「久米田シリーズ」「チャンピオンの四コマ漫画」などなど、サブカル文化の僻地にしっかりと根ざした作品がある。
しかしながら、それらの「不条理」と名づけられる物は大概にして大きな括りとして「不条理」が使われていることが多い。
雑草と言う草は無いが、大抵の草は雑草で方が付く。
そんな安易なニュアンスでジャンルとして分別しきれない物を不条理と呼ぶ事が多い。
それは悲しい事なのか。
否、それは分別出来ない新ジャンルの産声であり、全ての不条理作品は新たな文化のパイオニアでなのである。
時代とは球体のアメーバに似ている。
そのアメーバの中で、何かが外に出ようとしているのだ。
あっちへこっちへと、その何かは絶えずアメーバの表面を突起に変える。
そうしてハリセンボンの様になったアメーバは最も大きい突起の方向にシフトするのだ。
そうしてその突起が有った部分を中心に内包し、絶えず変化しつづける。
悲しいことに、どの突起が中心に成るのかはアメーバの中に居る私たちには判断が出来ない。
ただ、あそこら辺がなんかよく分からん事になっとるでー、何かよく分からんなー、と感じるしか無い。
特に重要視もせずに、いつも軽んじる事しかできないのだ。
もっとも、理解できないものは排他する事は自然な心理であり、それが悪いとは誰にも言うことはできません。
前身は孤独ゆえに、一人で涙流す胸に。
ほらちょっとだけ出た釘は打たれる、だがそこから次が生まれる。
近頃では「ぱにぽに」などその手の不条理アニメーションを目にする機会も増えました。
その様な作品を鑑賞する際は思い出してみてください。
不快にならない程度のパロディ、意味が分かる程度の演出。
そう言う合格ラインの不条理アニメーションを楽しめるのは、いままでの実験アニメーションの屍が有るからと言う事を。
シュールと不条理を見分ける方法はただ一つ。
笑えるか笑えないかだ。
勿論、不条理は笑えない。
愛されるより愛したい、マージーでー。
そう、不条理=シュールでは無いのだ。
少々、似てはいるが。
違う物なのだ。
愛が有るかとか、靴の先とか。
不条理アニメーションの先駆けとなったのは恐らく本作なのだろう。
自らを実験アニメーションと銘打って多少の自虐を内包しているが、それでも不条理アニメーションのパイオニアの謗りやら栄光を冠に頂くに相応しい。
元々、不条理を芸風にした漫画や小説は多い。
メジャー所を挙げるとすれば、「無敵の二人」「久米田シリーズ」「チャンピオンの四コマ漫画」などなど、サブカル文化の僻地にしっかりと根ざした作品がある。
しかしながら、それらの「不条理」と名づけられる物は大概にして大きな括りとして「不条理」が使われていることが多い。
雑草と言う草は無いが、大抵の草は雑草で方が付く。
そんな安易なニュアンスでジャンルとして分別しきれない物を不条理と呼ぶ事が多い。
それは悲しい事なのか。
否、それは分別出来ない新ジャンルの産声であり、全ての不条理作品は新たな文化のパイオニアでなのである。
時代とは球体のアメーバに似ている。
そのアメーバの中で、何かが外に出ようとしているのだ。
あっちへこっちへと、その何かは絶えずアメーバの表面を突起に変える。
そうしてハリセンボンの様になったアメーバは最も大きい突起の方向にシフトするのだ。
そうしてその突起が有った部分を中心に内包し、絶えず変化しつづける。
悲しいことに、どの突起が中心に成るのかはアメーバの中に居る私たちには判断が出来ない。
ただ、あそこら辺がなんかよく分からん事になっとるでー、何かよく分からんなー、と感じるしか無い。
特に重要視もせずに、いつも軽んじる事しかできないのだ。
もっとも、理解できないものは排他する事は自然な心理であり、それが悪いとは誰にも言うことはできません。
前身は孤独ゆえに、一人で涙流す胸に。
ほらちょっとだけ出た釘は打たれる、だがそこから次が生まれる。
近頃では「ぱにぽに」などその手の不条理アニメーションを目にする機会も増えました。
その様な作品を鑑賞する際は思い出してみてください。
不快にならない程度のパロディ、意味が分かる程度の演出。
そう言う合格ラインの不条理アニメーションを楽しめるのは、いままでの実験アニメーションの屍が有るからと言う事を。
シュールと不条理を見分ける方法はただ一つ。
笑えるか笑えないかだ。
勿論、不条理は笑えない。
太古、完全、砂漠に孤独
空気、原子、因果律星
そう、土地の子
受胎
哲学の胎児
思えば私たちの体を構成する水素以外の元素。
例えば炭素やら窒素やら。
そんな物はもともと宇宙には存在しなかった様です。
星が真性やら仮性爆発を起こした時の核融合によってそれらの元々なかった元素が作られたと言います。
そういう意味では私たちは正しく星の子であり、哲学の胎児なのです。
それなのに何故もこうやって人は他人を排除し差別しカテゴライズするのでしょうか。
今の日本は世に言うオタク、それが惑星直列並の確立で持てはやされている・・・担がれていますが、そのオタクの謗りを受ける人々も論理的な思考によって生きているのです。
例えばそんな論理的な思考と本能的な行動と倫理の軋轢に悩む例を知りたければこの「げんしけん」を読めばいいのです。
否オタクが見ればサルバトール・ダリの油絵を見るように楽しめます。
オタクが見れば、それはある種の踏み絵としても楽しめるのでは無いでしょうか。
それを求める故に迫害されるが、その負のエネルギーさえもその踏み絵の絵柄に注いでしまう、そんな隠れキリシタンでオタクな方にはぴったりとも言えましょう。
本作はオタクが主観で有りながら普通の展開にはならないのです。
飽くまで己の欲望を社会にぶつける非現実が書かれているのです。
それはいままでの一般的と言える作品には無い展開ですし、シチュエーションとも言えるのではないでしょうか。
そんな特殊な状況をあえて酷く論理的かつ現実的に描き、オタクの謗りを受ける人々にも、溢れんばかりの情熱と完全に理解出来る感情があると広く一般に知らせる力を持つ本作は、正しく上等と言えましょう。
空前絶後のオタクブームの昨今、一過性のブームから市民権を得るにはこんな本作に力を借りて相互理解を深めるのもいいのかもしれません。
生まれた所や皮膚や性癖でいくら差別しても、結局僕らは同じ星の子ですし、やっぱり同じなんですよね。
と、こうやって「げんしけん」を用いて世界平和を詠う酔狂はナカナカ無いのでは無いのかと思います。
曲解に逆説を重ねてこじつければ何でも話せる物なんですけどね。
とかく、僕が言いたい事は。
げんしけんによく用いられる活動をする方々本当にご苦労様と言いたい訳です。
それによっての経済は兎も角、文化の一つの成長節として一役買っている事にも僕はとても素晴らしいと思います。
その情熱は賞賛に値するのかもしれない
一つの有機的な機関
一つの永久運動装置
アー空洞なり
そは、空洞なり なり
空気、原子、因果律星
そう、土地の子
受胎
哲学の胎児
思えば私たちの体を構成する水素以外の元素。
例えば炭素やら窒素やら。
そんな物はもともと宇宙には存在しなかった様です。
星が真性やら仮性爆発を起こした時の核融合によってそれらの元々なかった元素が作られたと言います。
そういう意味では私たちは正しく星の子であり、哲学の胎児なのです。
それなのに何故もこうやって人は他人を排除し差別しカテゴライズするのでしょうか。
今の日本は世に言うオタク、それが惑星直列並の確立で持てはやされている・・・担がれていますが、そのオタクの謗りを受ける人々も論理的な思考によって生きているのです。
例えばそんな論理的な思考と本能的な行動と倫理の軋轢に悩む例を知りたければこの「げんしけん」を読めばいいのです。
否オタクが見ればサルバトール・ダリの油絵を見るように楽しめます。
オタクが見れば、それはある種の踏み絵としても楽しめるのでは無いでしょうか。
それを求める故に迫害されるが、その負のエネルギーさえもその踏み絵の絵柄に注いでしまう、そんな隠れキリシタンでオタクな方にはぴったりとも言えましょう。
本作はオタクが主観で有りながら普通の展開にはならないのです。
飽くまで己の欲望を社会にぶつける非現実が書かれているのです。
それはいままでの一般的と言える作品には無い展開ですし、シチュエーションとも言えるのではないでしょうか。
そんな特殊な状況をあえて酷く論理的かつ現実的に描き、オタクの謗りを受ける人々にも、溢れんばかりの情熱と完全に理解出来る感情があると広く一般に知らせる力を持つ本作は、正しく上等と言えましょう。
空前絶後のオタクブームの昨今、一過性のブームから市民権を得るにはこんな本作に力を借りて相互理解を深めるのもいいのかもしれません。
生まれた所や皮膚や性癖でいくら差別しても、結局僕らは同じ星の子ですし、やっぱり同じなんですよね。
と、こうやって「げんしけん」を用いて世界平和を詠う酔狂はナカナカ無いのでは無いのかと思います。
曲解に逆説を重ねてこじつければ何でも話せる物なんですけどね。
とかく、僕が言いたい事は。
げんしけんによく用いられる活動をする方々本当にご苦労様と言いたい訳です。
それによっての経済は兎も角、文化の一つの成長節として一役買っている事にも僕はとても素晴らしいと思います。
その情熱は賞賛に値するのかもしれない
一つの有機的な機関
一つの永久運動装置
アー空洞なり
そは、空洞なり なり
ナンチャラナランチャの世にも不幸せな物語
2005年12月23日 映画
いやいや、久しぶりですよ。
見ている最中ばかりか、終わった後にも眠気と吐き気に襲われる映画は。
もうね、お糞映画と言うしかないですわ。
物語の無理な展開を、登場人物及びナレーターが劇中で突っ込めばそれで良いと思っているのでしょうか。
よくある、「何とか先生に捧ぐ」とか「インスパイアされた」とか、パロディを突っ込まれる前に自分で公表して、さもリスペクトした結果にこんなオマージュになってしまいました、みたいな言い訳作品よりも怒りと眠気に襲われることは請け合いです。
そんな無理すぎて白けてしまう急な場面展開をしたにも関わらず、その後がつまらないって言うのだから、もういいやって感じになりますわな。
まぁ、どこかしらの映画レヴューを見てもエンディングロールの影絵くらいしか話題が上らないほどの代物なので皆さんは間違ってもお金を払って見ることは無いようにしてください。
絵本的な世界観なのだからしかたない
ファンタジーはそういう物だ
ジムキャリーの多彩な演技は素晴らしい
そんな逃げ文句に誤魔化されないでください。
あえてこのお糞映画を取り上げるのは皆さんにこんな気分を味わって欲しく無いからです。
あえて感想を言うとすれば、つまんねー、ねみー、なめてんなー、いいかげんにしろよなー、ヴァイオレット役の子って友達の妹に似ているなぁー、くらいしか有りませんでした。
お腹も痛くなってきたのでここらへんで終わりますが、皆さんこの映画は見ないでください。
2も出そうな終わり方だったのでそちらの方も油断せずにスルーしてください。
見ている最中ばかりか、終わった後にも眠気と吐き気に襲われる映画は。
もうね、お糞映画と言うしかないですわ。
物語の無理な展開を、登場人物及びナレーターが劇中で突っ込めばそれで良いと思っているのでしょうか。
よくある、「何とか先生に捧ぐ」とか「インスパイアされた」とか、パロディを突っ込まれる前に自分で公表して、さもリスペクトした結果にこんなオマージュになってしまいました、みたいな言い訳作品よりも怒りと眠気に襲われることは請け合いです。
そんな無理すぎて白けてしまう急な場面展開をしたにも関わらず、その後がつまらないって言うのだから、もういいやって感じになりますわな。
まぁ、どこかしらの映画レヴューを見てもエンディングロールの影絵くらいしか話題が上らないほどの代物なので皆さんは間違ってもお金を払って見ることは無いようにしてください。
絵本的な世界観なのだからしかたない
ファンタジーはそういう物だ
ジムキャリーの多彩な演技は素晴らしい
そんな逃げ文句に誤魔化されないでください。
あえてこのお糞映画を取り上げるのは皆さんにこんな気分を味わって欲しく無いからです。
あえて感想を言うとすれば、つまんねー、ねみー、なめてんなー、いいかげんにしろよなー、ヴァイオレット役の子って友達の妹に似ているなぁー、くらいしか有りませんでした。
お腹も痛くなってきたのでここらへんで終わりますが、皆さんこの映画は見ないでください。
2も出そうな終わり方だったのでそちらの方も油断せずにスルーしてください。
「ヴォーーーーーー」
管楽器の不協和音が頭の奥で鳴り響く、それは絶望の周波数であり、終末の音に他ならない。
いつまでも同じところに落ち続ける雷は、雷鳴と共に人々を壊してゆく。
狂ったように止まらない雷光のフラッシュが顔を照らすたびに、照らされた顔は少しずつ変わる、徐々に徐々に発狂していくかのように。
いやー、面白かったですよね。宇宙戦争。
ここまで絶望を煽るSF物はナカナカ無いんじゃないかしら。
ありきたりな普通の主人公との家族愛を描いているのかと思えば、その家族と言うパーツすらも冷静と発狂の間を描く付属品にしちゃうんだからスティーブったら凄いよね。
んまぁアラスジを書かないのはいつものお約束なんだけど、今回は特別にちょっとネタバレしてみよう。
基本的に宇宙人は最初に大型機で建物や群集を一掃していきます、その次にまぁ歩兵が敗残兵を山狩りするが如く地道に虐殺して行くわけです。
効率的で実際の戦争もこんな感じで進むので割とリアルな感じです。
ただ、スティーブったらそんな悲惨な設定にもちゃんとユーモアを混ぜているんですよ。
話の途中で「日本の大阪じゃぁ2体潰したらしいぜ」って台詞があります。
しかし、あの宇宙人の操る機械を潰すのは無理な話なんですよ、上空からのビームとATフィールド並の無敵バリアを破る装備が日本に有るわけが無い、そう思うわけなんですが。
そんな事を思いながら話を見ていたら、あるシーンで僕は思わず噴出してしまいましたよ、飯噴してしまいました。
何かビームに当たると服だけ残して消滅してしまうんですよ。
つまり、服だけ残るんですよ。
つまり、布には効かないんですよ。
布には効かない+日本の大阪=布団装備
恐らくあのマシーンに警察やら自衛隊がボコボコにされている時に、大阪のオバちゃんが亭主やら子供たちに布団を巻かせたんですよ。
「あんたら布団ちゃん腹に巻いとかんとアカンでー」って感じに。
そしたら実際布団バリアが有効で、、、、、。
とにもスティーブンスピルバーグがこの作品に「宇宙戦争」と銘打ったのはこんな意図があるのではないでしょうか。
戦争とは正々堂々と戦う時も有るが、一方的に虐殺される時もある、それが戦争ってモンなんだから、憧れる価値も真面目に描く価値も無いって事なんよ。
映画の深読みほど不毛な物は無いと思います。
意図やらなんやらを各自が主体で考えるのですから収拾すら望めません。
しかしながらその題材で有る虐殺と戦争は49の利と51の害を持つ非常に厄介な代物だと言う事は今回の「宇宙戦争」から学ばせて頂きました。
それだけで春原は満足ですし、その事を意識して「宇宙戦争」を見て頂くのも実に結構な事だと思います。
管楽器の不協和音が頭の奥で鳴り響く、それは絶望の周波数であり、終末の音に他ならない。
いつまでも同じところに落ち続ける雷は、雷鳴と共に人々を壊してゆく。
狂ったように止まらない雷光のフラッシュが顔を照らすたびに、照らされた顔は少しずつ変わる、徐々に徐々に発狂していくかのように。
いやー、面白かったですよね。宇宙戦争。
ここまで絶望を煽るSF物はナカナカ無いんじゃないかしら。
ありきたりな普通の主人公との家族愛を描いているのかと思えば、その家族と言うパーツすらも冷静と発狂の間を描く付属品にしちゃうんだからスティーブったら凄いよね。
んまぁアラスジを書かないのはいつものお約束なんだけど、今回は特別にちょっとネタバレしてみよう。
基本的に宇宙人は最初に大型機で建物や群集を一掃していきます、その次にまぁ歩兵が敗残兵を山狩りするが如く地道に虐殺して行くわけです。
効率的で実際の戦争もこんな感じで進むので割とリアルな感じです。
ただ、スティーブったらそんな悲惨な設定にもちゃんとユーモアを混ぜているんですよ。
話の途中で「日本の大阪じゃぁ2体潰したらしいぜ」って台詞があります。
しかし、あの宇宙人の操る機械を潰すのは無理な話なんですよ、上空からのビームとATフィールド並の無敵バリアを破る装備が日本に有るわけが無い、そう思うわけなんですが。
そんな事を思いながら話を見ていたら、あるシーンで僕は思わず噴出してしまいましたよ、飯噴してしまいました。
何かビームに当たると服だけ残して消滅してしまうんですよ。
つまり、服だけ残るんですよ。
つまり、布には効かないんですよ。
布には効かない+日本の大阪=布団装備
恐らくあのマシーンに警察やら自衛隊がボコボコにされている時に、大阪のオバちゃんが亭主やら子供たちに布団を巻かせたんですよ。
「あんたら布団ちゃん腹に巻いとかんとアカンでー」って感じに。
そしたら実際布団バリアが有効で、、、、、。
とにもスティーブンスピルバーグがこの作品に「宇宙戦争」と銘打ったのはこんな意図があるのではないでしょうか。
戦争とは正々堂々と戦う時も有るが、一方的に虐殺される時もある、それが戦争ってモンなんだから、憧れる価値も真面目に描く価値も無いって事なんよ。
映画の深読みほど不毛な物は無いと思います。
意図やらなんやらを各自が主体で考えるのですから収拾すら望めません。
しかしながらその題材で有る虐殺と戦争は49の利と51の害を持つ非常に厄介な代物だと言う事は今回の「宇宙戦争」から学ばせて頂きました。
それだけで春原は満足ですし、その事を意識して「宇宙戦争」を見て頂くのも実に結構な事だと思います。
窮鼠猫を咬むと言う言葉が在る。
追い詰められれば鼠も猫に立ち向かうと言う意味だ。
実際にも確かに向かって行くことは有るかも知れない。
ただ、鼠が猫に勝つことは在り得ないのだ。
筋力も瞬発力も耐久力も生命力も、劣っていると言う事はすなわち負けていると言うことなのだから。
ならば、人間の場合はどうだろうか。
喧嘩の一つもした事が無い進学塾のグループに居て、なおその中でも弱者として扱われているAと。
劣等感をすべて肉体の鍛錬に費やした、それだけが存在意義のB。
その二人が戦ったらどうなるのだろうか。
答えはAの勝利に決まっている。
前者の見込みは万に一つ。
しごく常識的に客観的に見ても、酷く一方的に主観的に見ても勝ち目は無い。
しかし、それでも勝てるのだ。
そもそも鼠と猫以上に力の離れた両者が戦うと言う事は在り得ない。
しかし、それでも戦うと言う事は勝ち目である「万に一つ」の一つが体現していると言う事になるのだ。
正気の沙汰とは思えない選択が人間にはできる。
その選択を選んだ過程こそが常識を覆す狂気なのだ。
正気が有って狂気が存在する、鼠には無い狂気を人間は持っている。
その狂気こそが諺通りの窮鼠猫を咬むと言う場面を作っているのだ。
即ち正気にて大業ならず、武士道とは死狂い也。
つまりシグルイなのである。
長い前置きとかって正直あんまり・・・って感じです。
と、まぁその長い前置きで言っている事を早速否定するのもアレなんだけど。
実際、戦いの場面においてはその狂気よりも慢心の方が重要だと思う訳ですよ。
うーん、まぁ勝負事にも当てはまると思うんですけど、比喩しやすい意味で格闘ゲームを例に挙げてみますか。
ほら、よく言うじゃないですか。
「あんなぶっ放しばっかで雑魚の癖によ、レバー回してるだけじゃねーかよ、台揺れすぎなんだよ」とか。
でもね、真相はそのぶっ放し、ラッキーパンチに当たっちゃった奴が悪いって事なんですよ。
つまり、油断してるほうが悪いって事ですね。
勝負の場に立ったらその瞬間からいつやられても文句は言えない訳ですよ。
不意打ちにしろ騙し討ちにしろ、やられた方が悪い。
戦場に居る兵士がいちいち後ろから撃たれただの相手が適当に打った弾が当たっただの喚いても、結局やられたら文句も言えずにその場で終わりなのですから。
全ては慢心を生んだ自分の心が悪いのです。
そして、その慢心こそが実に致命的なミスなのでは無いでしょうか。
たかがちょっとの油断程度で明らかに格下に負けるのはおかしいと思う方も居るかもしれませんが。
そうでなかったら明智光秀も農民に竹槍で殺されはしなかったでしょう。
油断大敵な春原は来年もそこそこ頑張りますと思います。
ISBN:4253230474 コミック 山口 貴由 秋田書店 2005/11/19 ¥560
追い詰められれば鼠も猫に立ち向かうと言う意味だ。
実際にも確かに向かって行くことは有るかも知れない。
ただ、鼠が猫に勝つことは在り得ないのだ。
筋力も瞬発力も耐久力も生命力も、劣っていると言う事はすなわち負けていると言うことなのだから。
ならば、人間の場合はどうだろうか。
喧嘩の一つもした事が無い進学塾のグループに居て、なおその中でも弱者として扱われているAと。
劣等感をすべて肉体の鍛錬に費やした、それだけが存在意義のB。
その二人が戦ったらどうなるのだろうか。
答えはAの勝利に決まっている。
前者の見込みは万に一つ。
しごく常識的に客観的に見ても、酷く一方的に主観的に見ても勝ち目は無い。
しかし、それでも勝てるのだ。
そもそも鼠と猫以上に力の離れた両者が戦うと言う事は在り得ない。
しかし、それでも戦うと言う事は勝ち目である「万に一つ」の一つが体現していると言う事になるのだ。
正気の沙汰とは思えない選択が人間にはできる。
その選択を選んだ過程こそが常識を覆す狂気なのだ。
正気が有って狂気が存在する、鼠には無い狂気を人間は持っている。
その狂気こそが諺通りの窮鼠猫を咬むと言う場面を作っているのだ。
即ち正気にて大業ならず、武士道とは死狂い也。
つまりシグルイなのである。
長い前置きとかって正直あんまり・・・って感じです。
と、まぁその長い前置きで言っている事を早速否定するのもアレなんだけど。
実際、戦いの場面においてはその狂気よりも慢心の方が重要だと思う訳ですよ。
うーん、まぁ勝負事にも当てはまると思うんですけど、比喩しやすい意味で格闘ゲームを例に挙げてみますか。
ほら、よく言うじゃないですか。
「あんなぶっ放しばっかで雑魚の癖によ、レバー回してるだけじゃねーかよ、台揺れすぎなんだよ」とか。
でもね、真相はそのぶっ放し、ラッキーパンチに当たっちゃった奴が悪いって事なんですよ。
つまり、油断してるほうが悪いって事ですね。
勝負の場に立ったらその瞬間からいつやられても文句は言えない訳ですよ。
不意打ちにしろ騙し討ちにしろ、やられた方が悪い。
戦場に居る兵士がいちいち後ろから撃たれただの相手が適当に打った弾が当たっただの喚いても、結局やられたら文句も言えずにその場で終わりなのですから。
全ては慢心を生んだ自分の心が悪いのです。
そして、その慢心こそが実に致命的なミスなのでは無いでしょうか。
たかがちょっとの油断程度で明らかに格下に負けるのはおかしいと思う方も居るかもしれませんが。
そうでなかったら明智光秀も農民に竹槍で殺されはしなかったでしょう。
油断大敵な春原は来年もそこそこ頑張りますと思います。
ISBN:4253230474 コミック 山口 貴由 秋田書店 2005/11/19 ¥560
チャララララ−チャラッチャナランチャ−
拍の裏を理とするならば。
「ウン、パッ」「ウン、パッ」の呼吸を常とする。
阿吽の呼吸とし皆でスウィングすれば。
即ち、それジャズと成る。
単純明快、舶来伝来、以心伝心の響きは、老若男女すべからく虜にし、女子供も管を吹く。
日本映画っていいものだと思います。
なんつぅか、お約束って言うか、肝を心得ていますよね。
メガネを取ると可愛い内気な女の子だったり。
惚れっぽい勝気な女の子だったり。
女の子だらけで困ったり。
んまぁ、そんな肝を的確に得つつも、題材が新鮮なのはさすが「ウォーターボーイズ」を作った方々なだけありますね。
俺が船で君が港、音楽室からプールサイドまで、対となる作品がこの「スウィングガールズ」なのでは無いでしょうか。
この歳になって(まだ19ですが
改めてこの手の学園協力表現物に憧れてしまいます。
でも若い頃は「ったくよー、あいつ学級委員だからって指揮者きどりとかマジウゼーんだよな、あんな海老反りハイジャンプみてーな指揮棒の振り方されたらヤル気もなくなるっつーの、しかもうち等中学にもなって今更お化けなんかいないさなんて歌えねーっつーの」
とか言ってましたね。
なんか真面目に練習すると逆にダサいみたいな空気も有るじゃないですか、思春期集団の中だと更に。
だからクラスの3割位の超燃えてるぜーって感じのグループと仲が悪くなったりとか、優勝できなかったらアンタのせいだからねっとか言われたり。
でもね、今だから言うけど。
俺だって燃えてるぜ!燃えてたぜ!歌って踊りたいぜ!
って事なんですよ。
んまぁ、大半の19歳は若気の至りを悔いたり至らなかった事を悔いたりとかしてると思うんですよ。
だから皆だって踊って歌って燃えたいと思うんですよ。
と、ここまで文を乱れさせ僕を熱くする「スウィングガール」
これを見て過去を悔いてみるのも、思い出してみるのも一興かもしれませんね。
拍の裏を理とするならば。
「ウン、パッ」「ウン、パッ」の呼吸を常とする。
阿吽の呼吸とし皆でスウィングすれば。
即ち、それジャズと成る。
単純明快、舶来伝来、以心伝心の響きは、老若男女すべからく虜にし、女子供も管を吹く。
日本映画っていいものだと思います。
なんつぅか、お約束って言うか、肝を心得ていますよね。
メガネを取ると可愛い内気な女の子だったり。
惚れっぽい勝気な女の子だったり。
女の子だらけで困ったり。
んまぁ、そんな肝を的確に得つつも、題材が新鮮なのはさすが「ウォーターボーイズ」を作った方々なだけありますね。
俺が船で君が港、音楽室からプールサイドまで、対となる作品がこの「スウィングガールズ」なのでは無いでしょうか。
この歳になって(まだ19ですが
改めてこの手の学園協力表現物に憧れてしまいます。
でも若い頃は「ったくよー、あいつ学級委員だからって指揮者きどりとかマジウゼーんだよな、あんな海老反りハイジャンプみてーな指揮棒の振り方されたらヤル気もなくなるっつーの、しかもうち等中学にもなって今更お化けなんかいないさなんて歌えねーっつーの」
とか言ってましたね。
なんか真面目に練習すると逆にダサいみたいな空気も有るじゃないですか、思春期集団の中だと更に。
だからクラスの3割位の超燃えてるぜーって感じのグループと仲が悪くなったりとか、優勝できなかったらアンタのせいだからねっとか言われたり。
でもね、今だから言うけど。
俺だって燃えてるぜ!燃えてたぜ!歌って踊りたいぜ!
って事なんですよ。
んまぁ、大半の19歳は若気の至りを悔いたり至らなかった事を悔いたりとかしてると思うんですよ。
だから皆だって踊って歌って燃えたいと思うんですよ。
と、ここまで文を乱れさせ僕を熱くする「スウィングガール」
これを見て過去を悔いてみるのも、思い出してみるのも一興かもしれませんね。
ネコソギラジカル(下)
2005年11月13日 読書
ついに出た最終巻。
対に成るべくの「上」「中」を持って「下」として、戯言サーガは目出度く終了した訳です。
とっても面白かったです。
確かに「戯言」シリーズは全く見事に完結されていました。
爽やかなハッピーエンドは一抹の期待と一握の悲哀をもたらしてくれました。
きっと「戯言遣い」が主観の作品はもう出ないのでしょう。
「@@の@@」が主観のなんたらかんたらで残りの複線が回収されるのでしょうか。
まぁ、どちらにしても一つの時代が終わったのは確かです。
0から1へと分岐したのか。
0.5から0へと飛散したのか。
これからもそんなライトノベルかつミステリには目が離せないですね。
そう思います。
対に成るべくの「上」「中」を持って「下」として、戯言サーガは目出度く終了した訳です。
とっても面白かったです。
確かに「戯言」シリーズは全く見事に完結されていました。
爽やかなハッピーエンドは一抹の期待と一握の悲哀をもたらしてくれました。
きっと「戯言遣い」が主観の作品はもう出ないのでしょう。
「@@の@@」が主観のなんたらかんたらで残りの複線が回収されるのでしょうか。
まぁ、どちらにしても一つの時代が終わったのは確かです。
0から1へと分岐したのか。
0.5から0へと飛散したのか。
これからもそんなライトノベルかつミステリには目が離せないですね。
そう思います。