ハッピーエンドと言う言葉をご存知だろうか。
悪の黒幕を倒し、一躍ヒーローになった主人公。
数々の試練を乗り越え、意中の相手と結ばれた主人公。
この世には様々な形のハッピーエンドがある。
だが、それはお話の中だからこそのエンドなのだ。
現実として「ハッピーエンド」なんて物は存在しない。

死が終わりだなんて単純な事を言うつもりは無い。
腹を切れば事が済む時代はとうに過ぎたのだ。
そんな現代の「エンド」やら「フィン」とは、何なのだろうか。






終わらない夏休みを過ごす友達がいる。
勉強にスポーツに何でも万能だった自慢の友達だ。
それなのに中学2年の夏から、奴はどこか違う世界に行ってしまった。
と言っても死んだ訳じゃない。
ただ、学校にも職場にも行かないだけだ。
あの中2まではこっちに居たはずなのに、何故に戻って来ないのだろうか。
言わば奴はレールを外れた訳だ。
映画で言うならば、あの夏休み前の教室がラストシーンになるのだろうか。

ただ、物語と違って。
現実はいつまでも続いているのだ。
黒幕を倒してヒーローになった主人公もいつかは悪に堕ちるかもしれない。
意中の相手と恋仲になっても、いずれ分かれるかも知れない。
勉強もスポーツも人一倍できて、言わばクラスのモテモテ君だった「奴」は、もしかしたら未だに童貞なのかもしれない。
現実の残酷さってのはこういう事を言うのかもしれない。

はて。
こんな現実の残酷さと、ドラえもん的な永遠を描いているのが今回の「アフロ田中」って訳なのだ。
言わばダークサイドに堕ちなかった古谷実作品と言っても良いと思う。
特別面白いわけじゃないが、その「特に面白い訳じゃない」って所が、なんだか人生に似ていて逆に笑える事もある。

松井でもイチローでも新庄でも無い。
言わば巨人の阿部って所なのだが。
このパーツを外して物語は語れない事は言うまでも無い。
取り合えず「俺、けっこう知ってるよ?」的な感じを知った被りたいならば、アフロ田中を押さえてみるのもいいかもしれない。
そう思うわけですよ。














ISBN:4091874541 コミック のりつけ 雅春 小学館 2005/09/30 ¥530
私。
僕。
俺。

です。
だ。
である。
なの。

〜訳で。
〜的な。
例えば〜。
もしも〜。



いやね、指摘を受けて改めて自分の文を見てたらさ。
一人称が毎回違うことに気がついたのよ。
そりゃ思ったね、いまどき多重人格プレーは流行らねーとさ。

しかしと言うならば、僕の文は果たして何かを意識しているのかと言う疑問がある。
言わばと、自分で自己解決のベクトルで展開するならば僕は何も意識していない事に気がつくのだ。
つまり、それは如何なる事なのか。
僕が言わんとしている事はこうだ。

「それにつけてもおやつはカール」って言葉があるじゃないですか。
私が好きな言葉のひとつなのですけど、いい言葉ですよね。
もっともおやつにカールを食べる人なんて今日日は子供でもいないと思うのですが、それにつけてもおやつはカールなんですよ。
そう、おやつはカールと言っておきながら私はカールは食べません。
一人称は固定したほうがいいと思っていても固定できません。
それは何故なのか。

えっとね、実はね・・・。
この日記は2人で書いているからなの。
だからしょーがねーべーって訳なんですわ。
うん、これはしょうがない。
デブな男友達の胸を揉むくらいしょうがない。
んまぁ第一印象と言うか、その相手の胸を最初に揉んだファーストインパクトはまぁまぁな訳なんですが、かといっていつまでも揉みたいと思うほどでも無い訳なんですよ。
いや、「揉みたい」と脳内で考える事にすら行き着かないレベルですよ。
そこに山が有るから登るのと一緒ですよ。
そこに、まぁ乳があったらか揉んだだけですよ。
もうしょうもないお話ですわ。
んまぁ、そんくらいしょうがない訳なんですよ。

とまぁ、序文に凝るのは女口調の方で。
後半でやけに茶を濁すのは男口調の方です。

だって、一人じゃ月に1回の更新すらあやういんですもの。
しょうがないんだから!
この現場以外に本番なんて存在しない。
外野の野次はほとんど聞くに値しない。
記載された先の進退、打ち切られてこそ想定したエンドライン。



うっは、おめーどこいっても6巻が売ってねーよ!
俺は思ったね。
5巻の最後の辺りをよく見ても「つづく」しかねーけどさ。
なんつぅか「理解」したね。

打ち切られた、と。
おーめーはよー!
そりゃねーべさ!
まださ、お話が急展開していきなり最終話とかなるなら分かるよ。
「ああ、打ち切られたんだなー」って。
でもさ、キジが出て犬が出て猿が出る所の犬の時点で終わらせるなよ!
おめー漫才で言うところのテンプラの最中じゃねーかよ!
ダチョウ倶楽部で言えばあれだよ。
リーダーが「俺やります!」って言った後にジモンが「どーぞどーぞ」って言っちまう様なもんじゃねーか!
上島でてこねーし話は終わっちまうし、帽子もなげらんねーよ!
世の中には流れってもんがあるだろーがって。
1があって2があって、そして3があるみたいな。
それでなんで3匹出るうちの2匹めの影だけ出て終わっちまうんだよ!
んなもん巨人の星で言えばあれだよ。
一徹がブチ切れてチャブ台に手を掛けた瞬間に明子がテーブルクロスマジックに失敗するようなもんだよ。
一徹がチャブ台引っぺがす前にもう食器やら鍋やらは畳の上だよ。そりゃ一徹も怒る訳だよ。

でもね、でもでもね。
日本、いや。

世界で一番最初に昨今の萌えキャラの原型を作りあげたのは画太郎なんだよね。
そうおもえばね。
この5巻まで無駄に買った怒りもね。
そりゃぁおさまんねーよ。

おさまんねーつーのー!

んま画太郎に最終話を求めた俺が馬鹿なんだけどね。

バンビ~ノ!

2006年2月23日 読書
52番プレンデレ! ベーネ!! アッチェンデレ! ベーネ!! 

デタラメなBPMを刻むハッピーコアの様に、音は響き、人は踊る。
それは圧倒的テンポであり、マグマでる。
湿気を感じさせない乾いた音ではない。
地下を想像も絶する速度で巡るマグマなのだ。
その熱量は、到底計り知れる物では無い。



映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を覚えているだろうか。
そのワンシーンに「工場」の音で音楽を感じさせるシーンがある。
その厨房ヴァージョンなだけだ。
爽快感も胸を熱くさせる物も同等と言ってもいいかもしれない。
それだけで、もう十分じゃないか。

面白い事+αの一つの可能性を示している本作。
もちろん人物描写スリリングな展開ともに前作の麻雀漫画でおりがみつきなのは言うまでも無い。
珍しく無難な物を紹介するのだから、是非とも読んで頂きたい事は言うまでも無い。
そう思うわけですよ。









ISBN:409187553X コミック せきや てつじ 小学館 2006/01/30 ¥530

今日の5の2

2006年2月14日 読書
「7年越しの恋が実った気分です」

「あー・・・、そう言えばアンタって未だに頑張ってたんだっけ」

「はい、ブームの後も地道に呼び出し掛けてたんですよ」

「ふーん、アンタも何ていうか・・・マメよね」

「ライフワークでしたから・・・」

「しかしまた7年もどこで道草食ってたんだか、この大ちゃんは」

「道に迷っちゃったりしちゃったんですよ」

「んまぁ実際来ちゃったんだからデモもストも無いけどさ、それにつけても今更来なくても良いのに」

「私はこれで本望ですよ」

「はぁ、恐怖の大王現るってのはこの事だわね」

大陸は裂け、海は枯れ、空は太陽が昇らなくなった。
そんな時に言いたい台詞がある。



そんな事を、妄想の事態を想定して台詞を考えるのは酷く楽しい事を僕は言いたい。
もしも、現実として序文の様な事が現実として起こったならば、僕はその必迫とした状況に飲まれてしまい、妄想として考えた台詞などは出てこないだろう。
だから今、セーフィティーを楽しむがの如く、こうやって台詞を考えるのだ。

では、今回の「今日の5の2」。
これも今現在の自分から、過去の自分を省みて楽しめる作品と言える。
言わばそうそう起こりえぬ状況を想像しつつも、そんな妄想とも言える状況を自分がかつて体験してきたリアルな経験と照らし合わせてみる。
そうすると自ずと明らかなズレ、言わばギャップが生じるのだ。
そのギャップは確固として存在するが、それを楽しむ事は可能なのだ。
「あの時ああすれば・・・」
「あっちを選んでれば・・・」
過去を悔やんだとしても、決して過去は修正できない。
しかしながらも人は過去を思うのだ。
後悔と言う矛盾漢字が存在する以上、その修正できないリアルな過去と妄想する過去のギャップには何かしら魅力があるのでは無いだろうか。



うん、多分無いね・・・。
どうなんだろうね。
もう、どっちでもいいや。

って、そんなグダグダ感を楽しむのも新成人たる勤めだと思う訳ですよ。

うん、言ってみたかっただけだけどね。
例えば、誰か一人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は、誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ





地上最強を目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度は地上最強を志す。
地上最強など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者は生まれてすぐに。
ある者は父親のゲンコツに。
ある者はガキ大将の腕力に。
ある者は世界チャンピオンの実力に屈して。
それぞれが最強の座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。
医者 政治家 実業家 パイロット 教師。
しかし、あきらめなかった者がいる。
この地上で誰よりも。
誰よりも。
最強を望んだ。
偉大なバカヤロウが。

OKOK。
そんな地上最強も分かる、よーく分かる。
でも、ここで重要なのは最強じゃない。
最強に成れなかった場合の話だ。

武道を習う者が最初に教わる教訓にこんな物がある。
「まず、自分を守れ」
そう、他人は2番なのだ。
それはとても正しいし、ひどく現実的で実用的な教えだ。
理想論をいくら語っても、直接的な暴力には完全に無効なのは中学校を卒業した人なら分かっていると思う。
だが、それでも。
何故か人は他人を守りたくなってしまうのだ。
最強になった人も、成れなかった人も。
等しくこの感情は備わってしまう。
それがヒーローなのだからしかたないのかもしれない。

正義のヒーローを目指して何が悪い。
人として生まれ
男として生まれたからには
誰だって1度はヒーローを志す。
正義の味方など
一瞬たりとも夢みた事がない。
そんな男は1人としてこの世に存在しない。
それが心理だ。
ある者はポイ捨てタバコに。
ある者は苛められっこを取り巻く輪に。
ある者は上級生の暴力に。
ある者は会社内部に組み込まれて。
それぞれがヒーローの座をあきらめ。
それぞれの道を歩んだ。

でもヒーローになりたい。



駄目な映画を盛り上げるために
簡単に命が捨てられてゆく
違う
僕らが見ていたいのは 希望に満ちた光だ

だから、僕も誰も彼も彼女も。
みんなヒーローに成りたい訳ですよ。
成りたいって感情が有る訳ですよ。

だったらヴィンランド・サガを見てみたいって感情も。
そうそう理解できなくも無いことは言うまでも無いわけですよ。







ISBN:4063635597 コミック 幸村 誠 講談社 2005/07/15 ¥440

へうげもの

2006年2月6日 読書
たとえば、いや。
例える間でも無く、誰が物のために死ねようか。
そう、誰も厳密な意味で物の為に死ぬことは無い。
人は物の染み付いた情念の為に死ぬのだ。
もしも神の視点で世の中を見るとすれば。
500円も500ウォンも500ドルも全て等しい。
ただ、僕らはそれらを等価交換する事は無い。
7枚交換どころか3000枚交換ってレベルのお話になる。

その7枚と3000枚の間には何があるんだろうか。
それを知るのは世の中を知るに等しい尊大な行為なのかもしれない。
愚民化政策真っ最中の昨今はそんな1+1に等しい大事な問題の解を知るために。
「へうげもの」を読んでみるのもいいかもしれない。









ISBN:4063724875 コミック 山田 芳裕 講談社 2005/12/22 ¥540

NHKにようこそ

2006年2月6日 読書
西尾維新の出世作なら
さっき僕がネットで見つけておいたから
滝本の話をしよう
眠ってしまうにはまだ早いだろう

この本を見てるのは
君と僕と あと何人いるかな
ある人は泣いているだろう
ある人はnyでもしてるんだろう

子供らをヒキコモリに ニートにもせずに
この街で暮らすため まず何をすべきだろう?
でももしも社会的に 絶対弱者になったとき
出来ることと言えば
涙を流し 瞼を腫らし
祈るほかにないのか?



引き篭もりの星と、少々に古い言い方をするなればそうなるのかもしれない。
はてはて、はたして、その星は一体なんだったのだろうか。
勿論、空を輝く星と言う意味では無いのだろう。
ただ、輝くと言う所を引用して星と表現しているのだろうか。
いやはや、それはどうだろう。
果たして空に輝く星を見上げるヒキコモリなど、一体どれほどいるだろう。
都会と田舎のヒキコモリ分布数の変化を持ち出さずとも、家から出ないのが引きこもりと定義するならば、ヒキコモリは空を見上げることなど有ってはならないはずだ。
いやいや、早計かもしれない。
夜中ならば出る事もあるのではなかろうか。
違う、そうじゃない。

そう、滝本竜彦の冠された星とは。
詰まるところ電子の星と言えるのではないだろうか。
モニターに映る虚構や妄想や恍惚。
それらの光と闇が紡ぎ出す表情に僕らは夢中なのは言うまでも無い。
老若男女、すべからくを虜にする電子の情報は鮮度満点でデリバリーされている。
そんな電子の星に滝本はなったのではないだろうか。

いつ消えてもおかしくない情報の集まりはそれだから美しいのかもしれない。
最後は電子の海の藻屑と消えるならば、星もそうなるのかもしれない。
電子の星も所詮は劣化も風化もする暇も無く藻屑と消えるのだ。
それならば、それならば、美しくなくてはならないのだ。
だから皮肉も下卑もこめずに、滝本作品を読んであげてもいいんじゃないかな。
なんつぅか、そう思う。





んー。
特に具体的に言うことが無いとこんなカラッポな文になってしまう訳なんですね。
言うなれば「毎回毎回展開一緒」
んまぁ、お約束も美学の一つだと思うわけですが。
 「何をグズグズしてやがるんだ、てめーもさっさと楽器を置いて手をあげろ! 撃ち殺されてーのか!」
ドラムとベースは既に楽器を捨て、降伏の姿勢を取っていた。
残るはボーカルのハデー・ヘンドリックスだけ。
迫る警官の拳銃、ガラス越しに向けられた銃口はハデーの脳天を向いていた。
 「おい、聞こえねーのか!楽器を置けって言ってんだよ!」
しかし、ハデーは動かない。
何かを諦めた様な、何かを悩んでいるような表情で目を瞑り。
それでもその左手はFマイナーを押さえていた。
 「おい!ハデヘン!そいつの言う通りにするんだ!!!これ以上突っ張るのはクールじゃねぇ、ただのフールだ!!!」
命あっても物種か、ベースのジョニーは両手を上げながらハデーに叫んだ。
 「す・・・すまねぇジョニー、分かっちゃいるんだけどよ、これ以上つっぱるのはただの馬鹿だって分かっちゃいるんだけどよ・・・止められねんだよ、こみ上げてくる熱いものを・・・」
ゆっくりと振り向き、目を開くハデー。
そこに迷いは無く、言葉があった。
 「今ここでやめちまったらよー、不完全燃焼でオレのロック魂が一酸化炭素中毒起こして冷たいオン・ザ・ロックになっちまいそうなんだ・・・・・・へへへ、なかなかクールだろ、今のギャグ」
 「!!」

 「お・・・おまえまさか!!」

イエーイ!!!

ニッポンあげるお返しに!!!ギブミーチョコ!ギブミーガム!おくれよおくれよ兵隊さん!!!




コピー多用のループ漫画。
それが漫●画太郎である事は誰もが知っている事実だと思う。
しかし、コピー多用のどこが悪いのだろうか。
手抜きの代表格とも言えるコピーだが。
使う人が使えば、それは立派な表現の武器になるのでは無いだろうか。
確かに背景が白かったりキャラが下書きだったりの手抜きの謗りを受ける諸刃の剣である事は否定できないが。
世の中にはそんな諸刃の剣を使いこなす事を許された一握りの天才が居る事も否定できない。
その一人が間違いなく画太郎で有る事は事実なのだ。
それだけで、十分にブラブラボーであり、イナフであるのではないだろうか。


数々の名言を残している画太郎作品。
ちなみに春原がよく使う名言は、「そんなかお、にあいませんよおにいさん」なのは言うまでもないと思う訳ですよ。

最強伝説黒沢

2006年1月19日 読書
・・・・・・・。

生理的にイヤ・・・・・・って言われるのか・・・・・・?
オレはそれを、男にも・・・・・・・・・・?

・・・・・・・。
へ・・・・・・へこむ・・・・・・・。





例えばの話。
とある日の晴れた午後に目が覚めたとしよう。
朦朧とした寝起きの意識からは完全に脱し、冷静になった頭が今日は休みだと言う事に気が付いた瞬間。
もしも、もしも。
予定が無かったらどうする?
何年も前から仕事の無い日を一人で鬱屈と過ごす事が通例と無意識に刷り込まれていたら、どうする?



やや時期外れの香りもする本作の紹介タイミングですが。
それにつけても名作は名作ですし、いいんじゃないですか。
昔からよく言うじゃないですか。
古典や名作は塩を舐めるが様に味わえ、と。
子供の頃に読んだあの凡作が、人生の艱難辛苦を味わった時に名作に変わる事なんてよくある話です。
つまりにつまった話、心を揺さぶる名作は。
心を揺さぶられる人間にしか名作にはならないのです。
ならば心を揺さぶる要素とは?

そう、辛い事や悲しい事や嬉しい事や楽しい事なのです。
逆説を申せば感情の基礎を作るのは、やはり経験であって。
本を捨てなければ本を楽しめないのです。

僕もいつの日か。
本作を本当の意味での名作として味わえる事が来るのかもしれません。
そんな日が楽しみでもあり、楽しみでも無い事を恐れず否定しません。
んまぁ、歳は食いたくねぇモンだなって。
そういう訳ですよ。







ISBN:4091870457 コミック 福本 伸行 小学館 2004/11/30 ¥530
門松は死出の旅路の一里塚。
めでたくもあり、めでたくもなし。

そう、年が明けちまった。
俺の中じゃまだまだ来て欲しくは無かった2006。
んまぁ地球はみんなの物だからしょうがねぇか。

毎年の様に来る新年メールをながめるたびに。
切り捨てられた友達と切り捨てられた俺が居る。
そんな事をいちいち認識させてくれる毎年の新年メールは実に偉大じゃないかな。
「ああ、もうこいつとは何ヶ月も連絡とってねーし、送らなくていいや」
そうやって疎遠スパイラルを形成する現代人。
年の一番最初の選定と割礼の儀式を経て、僕らはまた大人になってしまうのかもしれない。



そんなある日の1月6日。
あと3日後に成人式を控えた俺の元に男が尋ねてきた。
ああ、こいつは・・・。
立てば茄子、座れば南瓜、歩く姿は豆タンク。
中学時代に散々からかって来たクラスメイトだった。
恐らくノストラダムスの予言を最も信じて渇望していた奴だ。
面影はだいぶ残っていたし、特有の負のオーラも有った気がするる、だから俺はほんの数秒程度の戸惑いしか感じなかった。
しかし、何でまた俺んとこなんかにきたんやろ。

「おめぇどしたんよ、久しぶりたぁこの事だけどよ、よく俺んちわかったな」

ありきたりな挨拶を軽くしたつもりだったが。
だけど、俺は戸惑っていた。
なぜか分からないが戸惑っていた。
「いやさ俺さ、結婚したんだよ。でさ、成人式出れないからさ、とりあえず近場の奴に挨拶だけしようと思ってな、それで君の家に来たんだよ」


奴は大人に成っていた。
俺の数段上を行って、尚且つ過去の自分の暗黒時代のわざわざ終止符を打っていたのだ。

俺に残された引きつる笑顔と引き換えに奴は完全に歩き出した。
過去の清算をし終わった奴は、その有り余るエネルギーで更に前進するのだろう。
俺は完全に残された。
思えば生まれてこの方19年。
その日を生きるのにいっぱいいっぱいで。
俺は沢山の幸せをスルーしてきたのかもしれない。
踊る阿呆に見る阿呆、色々見てきたが。
俺はその様を見られるのを恐れていた。
多分、俺が一番馬鹿なのだろうか。




ISBN:4063367525 コミック 古谷 実 講談社 1998/08 ¥530

げんしけん

2005年12月25日 読書
太古、完全、砂漠に孤独
空気、原子、因果律星
そう、土地の子
受胎
哲学の胎児



思えば私たちの体を構成する水素以外の元素。
例えば炭素やら窒素やら。
そんな物はもともと宇宙には存在しなかった様です。
星が真性やら仮性爆発を起こした時の核融合によってそれらの元々なかった元素が作られたと言います。
そういう意味では私たちは正しく星の子であり、哲学の胎児なのです。



それなのに何故もこうやって人は他人を排除し差別しカテゴライズするのでしょうか。
今の日本は世に言うオタク、それが惑星直列並の確立で持てはやされている・・・担がれていますが、そのオタクの謗りを受ける人々も論理的な思考によって生きているのです。
例えばそんな論理的な思考と本能的な行動と倫理の軋轢に悩む例を知りたければこの「げんしけん」を読めばいいのです。
否オタクが見ればサルバトール・ダリの油絵を見るように楽しめます。
オタクが見れば、それはある種の踏み絵としても楽しめるのでは無いでしょうか。
それを求める故に迫害されるが、その負のエネルギーさえもその踏み絵の絵柄に注いでしまう、そんな隠れキリシタンでオタクな方にはぴったりとも言えましょう。

本作はオタクが主観で有りながら普通の展開にはならないのです。
飽くまで己の欲望を社会にぶつける非現実が書かれているのです。
それはいままでの一般的と言える作品には無い展開ですし、シチュエーションとも言えるのではないでしょうか。
そんな特殊な状況をあえて酷く論理的かつ現実的に描き、オタクの謗りを受ける人々にも、溢れんばかりの情熱と完全に理解出来る感情があると広く一般に知らせる力を持つ本作は、正しく上等と言えましょう。
空前絶後のオタクブームの昨今、一過性のブームから市民権を得るにはこんな本作に力を借りて相互理解を深めるのもいいのかもしれません。
生まれた所や皮膚や性癖でいくら差別しても、結局僕らは同じ星の子ですし、やっぱり同じなんですよね。

と、こうやって「げんしけん」を用いて世界平和を詠う酔狂はナカナカ無いのでは無いのかと思います。
曲解に逆説を重ねてこじつければ何でも話せる物なんですけどね。

とかく、僕が言いたい事は。
げんしけんによく用いられる活動をする方々本当にご苦労様と言いたい訳です。
それによっての経済は兎も角、文化の一つの成長節として一役買っている事にも僕はとても素晴らしいと思います。

その情熱は賞賛に値するのかもしれない
一つの有機的な機関
一つの永久運動装置
アー空洞なり
そは、空洞なり なり

シグルイ

2005年12月14日 読書
窮鼠猫を咬むと言う言葉が在る。
追い詰められれば鼠も猫に立ち向かうと言う意味だ。
実際にも確かに向かって行くことは有るかも知れない。
ただ、鼠が猫に勝つことは在り得ないのだ。
筋力も瞬発力も耐久力も生命力も、劣っていると言う事はすなわち負けていると言うことなのだから。
ならば、人間の場合はどうだろうか。
喧嘩の一つもした事が無い進学塾のグループに居て、なおその中でも弱者として扱われているAと。
劣等感をすべて肉体の鍛錬に費やした、それだけが存在意義のB。
その二人が戦ったらどうなるのだろうか。
答えはAの勝利に決まっている。

前者の見込みは万に一つ。
しごく常識的に客観的に見ても、酷く一方的に主観的に見ても勝ち目は無い。
しかし、それでも勝てるのだ。
そもそも鼠と猫以上に力の離れた両者が戦うと言う事は在り得ない。
しかし、それでも戦うと言う事は勝ち目である「万に一つ」の一つが体現していると言う事になるのだ。
正気の沙汰とは思えない選択が人間にはできる。
その選択を選んだ過程こそが常識を覆す狂気なのだ。
正気が有って狂気が存在する、鼠には無い狂気を人間は持っている。
その狂気こそが諺通りの窮鼠猫を咬むと言う場面を作っているのだ。
即ち正気にて大業ならず、武士道とは死狂い也。
つまりシグルイなのである。


長い前置きとかって正直あんまり・・・って感じです。
と、まぁその長い前置きで言っている事を早速否定するのもアレなんだけど。
実際、戦いの場面においてはその狂気よりも慢心の方が重要だと思う訳ですよ。
うーん、まぁ勝負事にも当てはまると思うんですけど、比喩しやすい意味で格闘ゲームを例に挙げてみますか。
ほら、よく言うじゃないですか。
「あんなぶっ放しばっかで雑魚の癖によ、レバー回してるだけじゃねーかよ、台揺れすぎなんだよ」とか。
でもね、真相はそのぶっ放し、ラッキーパンチに当たっちゃった奴が悪いって事なんですよ。
つまり、油断してるほうが悪いって事ですね。
勝負の場に立ったらその瞬間からいつやられても文句は言えない訳ですよ。
不意打ちにしろ騙し討ちにしろ、やられた方が悪い。
戦場に居る兵士がいちいち後ろから撃たれただの相手が適当に打った弾が当たっただの喚いても、結局やられたら文句も言えずにその場で終わりなのですから。
全ては慢心を生んだ自分の心が悪いのです。
そして、その慢心こそが実に致命的なミスなのでは無いでしょうか。
たかがちょっとの油断程度で明らかに格下に負けるのはおかしいと思う方も居るかもしれませんが。
そうでなかったら明智光秀も農民に竹槍で殺されはしなかったでしょう。

油断大敵な春原は来年もそこそこ頑張りますと思います。






ISBN:4253230474 コミック 山口 貴由 秋田書店 2005/11/19 ¥560
ついに出た最終巻。
対に成るべくの「上」「中」を持って「下」として、戯言サーガは目出度く終了した訳です。

とっても面白かったです。
確かに「戯言」シリーズは全く見事に完結されていました。
爽やかなハッピーエンドは一抹の期待と一握の悲哀をもたらしてくれました。
きっと「戯言遣い」が主観の作品はもう出ないのでしょう。
「@@の@@」が主観のなんたらかんたらで残りの複線が回収されるのでしょうか。
まぁ、どちらにしても一つの時代が終わったのは確かです。
0から1へと分岐したのか。
0.5から0へと飛散したのか。
これからもそんなライトノベルかつミステリには目が離せないですね。
そう思います。
すべからく誰しも悪を憧れる事がある。
遅いか早いかの違いはあれど、誰にだってそんな時期はあったはず、それが心理だ。
ただ、その憧れた「悪」ってのは本当に悪だったのだろうか。
場末のピカレスク小説に出てくるちっぽけなチンピラの悪と、大きすぎて見えない搾取の悪。比べてみれば差は歴然だけれども。
その「差」ってなんなのだろう。

闇金ウシジマくんの登場人物はどこか必ずまともなのだ。
みんなまともなのだけど物語が狂いだすのだ、それがこの漫画の肝と言ってもいいと思う。
まともな世界の片隅に突如として現れた落とし穴。
それに足を取られた者は大抵に首の辺りまでドップリ浸かってしまう。
ただ、首の上だけはまともな世界にある。
その首の上の世界のせいで彼らは苦しんでいるのだ。
裏と表、どちらが悪なのか。
思春期程度の悪への憧れでは本書を読んでは欲しくない。
どちらかと言えば、夢の国の下水事情やネズミとアヒルの中の人の順列。
そんな物に興味の有る人に読んで頂ければ面白いんじゃないかと。
そう思うわけです。






ISBN:409187343X コミック 真鍋 昌平 小学館 2005/10/28 ¥530
最近の少女趣味って凄いんですね。
僕もびっくりです。

12の干支を軸に心温まるハートフル恋愛少女漫画な本作ですが。
定例道理、蛇使い座みたいな隠しキャラ的存在が話を盛り上げていく訳です。
隠されていたからその分、他の星座よりも特殊?みたいな?
そんなイニシアチブを乱用するのはズルイと思う僕なのですが。
それは兎も角、女の子主観で繰り広げられる甘くて切ないストーリーは僕にも多大に共感できうる物なのです。
とは言っても僕は僕ですし、男ですし、女性主人公キャラには共感でき得ない話なのですが。
むしろ話の展開等に男性特有の「俺の夢」的な香りがするのはきっと作者が男性なのだからでしょう。
男性なのですよ?

いたく昔にクラスの女生徒から「ミントな僕ら」を見せられた時には性の乱れを酷く感じたものですが、昨今は規制が良い方向に行ったのでしょう。
その様な際どい表現を見る機会は無くなった様です。
願わくば少女がジャンプやらコバルト文庫の洗礼を受ける前に。
良作の少女漫画に出合って欲しいものです。



ひさし方ぶりの日記は手が全く進まず、改めて自分の文才に驚いてしまいます。
こうやって良いアイデアが浮かぶまでキーボードを無意味に叩くのは現代の雨乞いかもしれません。
願わくば雨の様に。






ISBN:4592178882 コミック 高屋 奈月 白泉社 2005/09/16 ¥410

煙か土か食い物

2005年9月10日 読書
これが噂の舞城か。
そう、今回は舞城王太郎が主管です。
今、現代でもっとも世間一般の世界に近いゼロの波が舞城です。
世間一般の世界から弾き飛ばされて出来たゼロの波が舞城の手によって、再び還ろうとしているのです。
そこに有るのは恨みか辛みか凱旋か、波の波紋は再びゼロを寄せるのか返すのか。

舞城作品には大きな特徴が有ります。
緻密な一人称で粉々な世界をさらに破壊すると言う特徴です。
ミステリと言うジャンルに身を置きながら、夢もファンタジーも有りません。
しかしながら、舞城作品はミステリ以外の何者でも無いのです。
ミステリと言う単語自体が非常に曲解の代物なので、分別には難解を極めるのですが、舞城作品はその曲解な代物の方程式に何も代入せずにミステリと求められるのです。

この舞城作品も百?はファンタシスタな訳なので、実際に手に持って見て下さい。
恐らくは壁本にはならないと思いますが(クリスマス・テロル並の壁に向かう速度も破壊力も無いですので)おすすめできます。
ただ、僕はミステリなんて読まないほうが良いと思いますし、得る物も無いと思いますし、本当は読んで欲しくは無い所です。

これからの世の中で新たなキーになり得る物を紹介する僕の日記ですが、今回の舞城紹介は何とも言えません。
願わくば、願わくば。
まず一読してみるのも人生って奴だと思う訳ですよ。













ISBN:406274936X 文庫 舞城 王太郎 講談社 2004/12 ¥580
凛とした直線はそれ自体が韻を踏むかのように交差する。
それらが紡ぎ合わされば空間と成り、曲線美を浮き彫りにする。
単純明快な絵柄は空白すらも記号の一つとして脳の中にイメージを形成して、それは無駄が何一つない本作の構図と書き込みに縁って「センスの良い絵」と成り、絶え間無い風の様な疾走感を呼ぶのだ。

近未来のちょっと有りそうで絶対無いオーバーテクノロジを思春期の少年に与えてみよう。
そしたらこんなのが出来ましたよ、って感じの本作です。
文字数は少なくないのに板垣恵介ばりの瞬間通過ページ数を味わえるのは、少年漫画+αの仕業かもしれない。
そのαがお色気なのか才能なのかは分かりませんが、今が旬のこの作者にはまだ解き明かせない要素が含まれています。
それは2年5年先を読み解く上で欠かせない物なんじゃないかなと
そう、思う訳ですよ。
だから外せない本作を是非とも。
読んで頂くのも素晴らしいと。
そう思う訳ですよ。







ISBN:4063635627 コミック 大暮 維人 講談社 2005/08/17 ¥410

妖幻の血

2005年8月21日 読書
秀逸っ・・・!
こいつは実に秀逸な訳ですよ。
パッと見の絵柄はサブカルチャー全開のどこかで見た事の有る様な・・・? 地雷獣?羊のうた?
まぁ、それはいいんですよ。
そんな絵柄で内容は古いフランス映画って言うんだから、それはもう漢字で浪漫って書いちゃう訳ですよ。
漫画の漫は浪漫の漫とでも言いましょうか、多少踏み込んだ話をすれば、漫画とは単にサブカルチャーであると言う原典に回帰するべきな作品と言えるのでは無いでしょうか。

話の内容をお話しましょう。
兎角ありがちな古き日本の○○浪漫な時代背景が舞台と成る本作
勿論ご安心下さい、椎名林檎の様なインチキ漢字は出ては来ません、どちらかと言えば斜陽族を地で行けそうな雰囲気なのでアンニュイ振りたいニヒリストな方にはピッタリの代物とも言えましょう。
そんな作風に少女が2人、登場するのですが。
不思議と今の世間の風潮と外れているのです。
シチュエーションはぺドの謗りを受けるに相違ないのですが、不思議と受けない訳なのです。
それは先ほども述べたとおり、ちょっとフランス映画?みたいな?えっ、お洒落なの?タランティー?みたいな?
敢えて言えばロリコンさんからサブカル少女、安楽椅子探偵の方々にまで受ける印象は間口が広いと言えましょう。
だからこれを機にロリコン等の香りのする作品を嫌っていた方々にこの作品をお勧めしたいと思います。
そして今作の様な前例をもって、ペドフィリア作品に対する迷妄の闇を知性の光で払って欲しいものです。

と、こんな事を書いていると僕の人格まで疑われてしまいそうなのですが。
僕はいたって普通なのでご安心を。
しかし、何がデフォルトなのか分からないのが今の現代と言えましょう。
なぜなら国民の6割がハードゲイと口にしたことがあり、あと数年後のジェンダーフリーの軋轢はどうなるのでしょうか。
美少女ゲームは「美女」ゲームでは無く、「美少女」ゲームである事の異常さに気がつかない今。
次の世代の覇者は誰になるのか分からない訳なのですが。
そんな群雄割拠を制するキーは案外こんな古臭いサブカルチャーなのかもしれません。
さすれば本作「妖幻の血」。
一読の機もまた一興かもしれません。
そんな訳ですよ。



ISBN:4757510713 コミック 赤美 潤一郎 スクウェア・エニックス 2003/12/22 ¥580
遂に、最終巻の一歩手前になる本巻な訳ですが。
もしも書店でこの本を手に取り、数秒の間ズボンを弄っていたり、背表紙を眺めている人を目撃したらば、僕はこう言うのでは無いでしょうか。
おっと、それはブービー賞だぜ。
いや、別にケツから一歩手前が悪いとかそういう思案は皆目ありません。

元々、この戯言シリーズの作風は変わった物です。
よく言えばクールな、ありがちな主人公の周りで起こる事件をそのありがちな主人公の独白じみた解釈で進んでいくスタイルでした。
このスタイル、やってみればよく分かる事なのですが膨大な字数が必要になるのです。
それは商業的には凄まじく効率の良い事なのでしょう。
すべてに置いて展開が遅く、それでいて物語に深みの出る素晴らしい手法と言えます。
しかしながら、強大な敵を倒すべく努力をして仲間の犠牲等により敵を倒すとまた新たな敵が出てくる。
そんな仲間の数が続く限り話がヒートアップするドラゴンボール的な展開を嫌えば、過去に何かが有った的な展開を出すしか無いのです。
この戯言シリーズもその典型に洩れる事は出来なかった様で、過去を切り売りして話は展開していく訳なのですが、驚くべきことにこの作者はとんでもない手法を打ち出したのです。
伏線を張るだけ張っておいて、それを回収せずに新たな伏線を張る。
この風呂敷を畳まずにその上に大風呂敷を敷く手法。
話に物凄い深みと、サイドストーリの充実、恐らくば常人には考えもつかないであろう展開を容易く生み出せる手法です。
僕が知っているだけでこれほどの大風呂敷を敷く作家はこの西尾維新を除いてありません、誰も使わないのです。
何故ならば、それは最終回に向けての伏線の回収に尋常では無い手間と時間が掛かるからなのです。
戯言シリーズ第5巻辺りで、話の矛盾点等及び収拾の問題でそろそろ畳み始めるのでは無いだろうか、そう僕は思っていました。
しかしながら、僕のそんな意図とはまったく正反対に話は拡大し続けるのです。
そして残るは最終巻だけとなった今、僕はこのネコソギラジカルを読んで改めて言います。
最終巻では超展開が繰り出されるでしょう。
これはもう覆すことのできない決定事項なのです、話の語り部が変わる事を除けば超展開しか残された道は無いのです。
ただ、超展開を繰り出せば・・・・・・。
すべからく物語には終わりが用意されている訳ですが、超展開とは最後に打つものなのかもしれません。
後はしーらねっ!、的な事が地で出来るからこそ最終回には超展開なのかもしれません。
だから僕は言うのです。
こいつはブービー賞だぜ、と。

長文のお付き合いありがとうございました。
別に批判に熱が入ったとかそういう事ではなく。
珍しくの長文も僕がこの作品を愛しているからこそなのです。
それでは。

ISBN:406182399X 新書 西尾 維新 講談社 2005/06/07 ¥1,134

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