少なくとも、人生と言うか、人間って生き物は。
最後の最後には一人になる。これは確定。
んじゃぁその「最後」までは一人じゃ無いかと言われれば。
やはり一人なんじゃないかな。
狭い頭蓋のプールに孤独と漂っている脳が人の本質とするならば。
それは何とも交わらないし、何とも分かり合うことは無い。

たとえば、色ってなんなのだろうか。
僕が認識している「赤」って色は、ほかの人にとってどう認識されているのだろうか。
僕が傷つく事も恐れずに心の内を明かした所で、どれほどが伝わり、どんな理解をされているのだろうか。
それは、相手が欺瞞や姑息や悪徳と縁の無い純真無垢だとしても、僕の言葉は、表情は、感情は。どれだけ伝わっているのだろうか。

恐らく、人が人と分かり合うなんて事は絶対に不可能だと思う、思いやりって名のフィジー機構を取り入れたって、それは無理だ。
だから、最初から期待なんてしちゃいけないのかもしれない。
伝えたら達するから伝達な訳で、そこに理解を求めちゃいけないのかもしれない。
それはれっきとした事実で、僕にとって寂しく、そして唯一の救いだ。

僕の心が僕以外の誰かに理解される事は、最悪の悪夢で有り、最高に死に時って事じゃないか、そう思う時がある。
今まで見捨てられ、切り捨てられてきた僕。
それは他人を介した関係性の場面でも、自分自身の心象風景と差異の無い無意識の中でも、他人から切り捨てられ、他人を切り捨ててきた。
それでも、やはり唯一の理解者は自分自身であり、それ故に自分を大事にできるのだ。
自分自身を意識と身体に分けるとして、その利害関係を考えた時には



あああああああああああめんどくさくなってきた。

閑話休題。

最近はめっきり暑くなってきましたね。
夏なんですね。

その日差しと熱狂で、また今年も俺を焦がしてくれ。

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