ぼっくはとーめーにんげんさーきっと透けてしまう♪
おーなじひーとにはわかる♪

思えば数年前までの日本は椎名林檎に毒されていたのではなかろうか。
ヴィレッジバンガードだか、そんなお店のサブカル臭を嗅げば分かる物だ。
それは如実に文のタイトルとして現れていた。
エヴァンゲリオンブームの5年ほどは極太明朝体の横文字タイトルが流行っていた。
いつしか、その中に奇妙な物が現れたのだ。
漢字の単語とカタカナの単語が組み合わされた全く意味の無い言葉。
つまり椎名林檎スタンダードが現れたのだ。

無罪モラトリアム
勝訴ストリップ
性的ヒーリング
下克上エクスタシー
発育ステータス 御起立ジャポン

以上の様な体系が一つのブームになったのだ。

それでは本題に入ろう。
その当時は春原も立派な中学生であった。
そんな思春期の少年は見事に感化された事は言うまでも無い。
言わば惚れた腫れたの真ん中で電気ショックを味わっていた訳だ。
そんな青春時代の最中、僕には仲間が居た。
同じく椎名林檎フリークであった「凛子」嬢である。
彼女は完全に椎名林檎であった。
憧れる者と性別が同じであると言う事実は時に残酷であると、中学生の春原に悟らせるほどに完全な椎名林檎であった。

はて、そんな代物と二次成長期を共にして宜しいのか。
そんな事を今更になって思う訳なのだが、僕と凛子の交流は中学卒業まで続いた。
彼女は完璧であったが、それはブームに乗せられたのかどうかなのは今でも分からない。
ただ、高校に入っても卒業しても。
ただ一度も彼女と会ってない僕は未だに彼女の事を気にしている事は事実だ。
椎名林檎は結婚し出産し離婚しインチキ漢字を使い東京事変になった。
春原は高校を卒業して専門学校に居る。
そして時にあの熱く蒼く湿っぽい時代を思い出す。
楽しかったと言えば嘘になるかもしれない。
いま思えば赤っ恥に顔が青くなるかもしれない。
だけれど、僕はその時代に夢中だった。

林檎の声を聞くたびに僕は思い出す。
凛子の事と僕の卒業文集の題名が「先生トイレ」てあった事を。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索