何というか、僕の人生は二択の積み重ねの様な気がします。
AかBかの決断を常に迫られるのはごくごく普通の事だと言う方もいるかもしれません。
しかし、僕はA以外に選ぶ余地の無い事象にも強引にBの選択肢を混ぜています。
それは500円しか持っていないのに焼肉屋に入る様な物なのです。
どう算盤を弾いてもその様な答えに至る算段は出てこない筈なのですが、何故か僕は焼肉を食べてしますのです。
それ故に僕はプチ破天荒と陰口を叩かれているのです。

正直に言いますと、僕は想定外と言う物が大好きなのです。
定石と言う物が決まっている事象で、その定石を悪手で崩した後の展開がとても好きなのです。
それは自分の裏を斯くと言う事なのかも知れません。
だから時には定石をそのまま用いる時もあります。
それは悪手を打ってその後の展開を期待した自分の裏を斯くと言う事ですね。

はて、僕は一体に何故にこの様な悪癖を身に宿してしまったのでしょう。
ふと自分で反芻してみると、僕は何事もクヨクヨと後悔をしやすい臆病な性格に気がつきます。

例えば前々から読みたいと思っていた本を読む機会が有るとしましょう。
しかし、その本を読んでしまったら僕の胸にあったワクワクと形容する高揚感が消えてしまうのです。
その上にその本が詰まらなかったら今の自分には楽しめない内容だったならば、とたんに徒労感と悲壮感に襲われるでしょう。
ならば、読まないほうが良いのではないだろうか。
しかし読まなければいつまでも気になってしまう。
考えれば考えるほど霞の回廊を降りるが如く、思想のループに嵌ってしまいます。
正に似非キルケゴールって感じです。

しかし、この読むと読まないの二択に「損得勘定」や「状況判断」を混ぜない純粋な二択で選んだ場合はどうなのでしょう。
その本が面白くても面白くなくても、純粋にどちらでもいいと言う無の状況まで自分を追い込んだのならばその結果は「フラグ」に変わるのです。
もしも運命と言う概念が確固として適用されていた場合、このフラグにも何かしらの意味はある筈なのです。
家にメイドさんの居る方の人生も、どこかでメイドフラグが立たなければメイドさんはやってこなかった訳です。
観測点をどの点に決めるかによってその結果は変わると思いますが、しかしながらどのフラグがどの結果に起因するかは誰にもわかりません。
だから僕はフラグを乱立しているのです。
常に公平で純粋な二択によって立つフラグを増やしているのです。

だいぶお話が脱線するのはいつもの事なので特に思うことはありませんが。
んまぁ、僕が言いたいことは。
当たり前の事をやっても当たり前の事しか起こらないって事なんですよ。
ロジスティック写像も運命論もカオス理論常にデータが必要な訳です。
そのデータに何を代入すればメイドさんが出てくるかは分かりませんが、僕はメイドさんが出てくるまで頑張るつもりです。
つまり、僕が言わんとしている事はこうな訳です。
メイドさんが大好きなのです。
とな訳ですわ。

コメント

sisui
sisui
2006年3月12日6:37

そんな貴方にクリティカルシンキング

ハル
ハル
2006年3月14日13:05

ムズカシイ・・・・・( ´・ω・`)よくわからんけどがんばれ破天荒!

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索