五円玉の穴は誰が為にあるか、その位どうでもいい話
2006年2月23日よく、自分の体験した事や性格の話をする時に。
「そういえば(俺or私)の友達が」
と前置く人って居るじゃないですか。
うん、正に僕であり私の事なんですけどね。
でも、ちょっと考えてみたんですよ。
言わば九九と同じくらい日常的に使っているこの方程式なんですが、一体どんな意図が隠されているのだろうって。
するとまず目に付くのが最初の「そういえば」の部分なんです。
この「そういえば」。
明らかに受身の言葉ですよね。
相手が何か言った後の言葉ですよね。
会話は言葉のキャッチボールですし、受身だからと言っても特別な意味は無いと思います。
しかし、その後の「友達が」と続くのが不思議なんですよ。
急に第三者を持ち出して飛んできた球を後逸させる訳じゃないですか。
言わばピッチャーが投げた球をキャッチャーが一塁スタンドに投げちゃう様ですよ。
こりゃぁちょっと可笑しいじゃないか、ファンサービスも過ぎるんじゃないか、そう思うわけですよ。
何故にそんな不思議な現象が起こるのでしょうか?
と、ここでまた一つ気が付きました。
「そういえば友達が」
この方程式によって導かれる答えは、大抵の場合に大なり小なりリスクを孕んでいると言う事です。
つまり、この「そういえば友達が」の方程式は単に責任転嫁の常套手段であり、言わば卑劣と卑小の最たる証なんじゃないか。
と、まぁ。
こんな事を、そういえば友達が言っていた訳なんですよ。
いやはや、もうね、もうダメよっ。
もうそんな感じですわ。
と言う春原の友達の輪は常に何かにイチャモンを付けて暇を潰して過ごしているのです。
そんな日々の一ページから生まれた今回のイチャモン、もう突っ込み所満載じゃないですか。
「んじゃなんでそんな方程式を使ってわざわざ自分からリスクの有る話をするの?」
言ってやりましたよ。
論破してやったり気分満載ですよ。
そうしたら、物凄い答えが返ってきました。
「つまり、この[そういえば〜〜]を使う人間はMなんだよ」
ああ・・・。
なんか、やられたなぁって感じですよ。
反論をしようにもできないじゃないですか。
突っ込み所をわざと作ってそこに僕が突っ込むのを利用して結論を出されちゃった訳ですから、その結論を否定すると突っ込んだ僕の意見が矛盾している事になってしまう訳じゃないですか。
何か久しぶりにしてヤラレタ気がします。
それ以来この「そういえ〜〜Mである」は定説として仲間の輪の中で君臨しているのでした。
何か悔しいので誰かもっともな反論のある方は教えて欲しいものです。
負けっぱなしは健康に悪いが信条の春原は今日も復讐の梯子を待っている日々ですよ。
早く春にならないかな。
「そういえば(俺or私)の友達が」
と前置く人って居るじゃないですか。
うん、正に僕であり私の事なんですけどね。
でも、ちょっと考えてみたんですよ。
言わば九九と同じくらい日常的に使っているこの方程式なんですが、一体どんな意図が隠されているのだろうって。
するとまず目に付くのが最初の「そういえば」の部分なんです。
この「そういえば」。
明らかに受身の言葉ですよね。
相手が何か言った後の言葉ですよね。
会話は言葉のキャッチボールですし、受身だからと言っても特別な意味は無いと思います。
しかし、その後の「友達が」と続くのが不思議なんですよ。
急に第三者を持ち出して飛んできた球を後逸させる訳じゃないですか。
言わばピッチャーが投げた球をキャッチャーが一塁スタンドに投げちゃう様ですよ。
こりゃぁちょっと可笑しいじゃないか、ファンサービスも過ぎるんじゃないか、そう思うわけですよ。
何故にそんな不思議な現象が起こるのでしょうか?
と、ここでまた一つ気が付きました。
「そういえば友達が」
この方程式によって導かれる答えは、大抵の場合に大なり小なりリスクを孕んでいると言う事です。
つまり、この「そういえば友達が」の方程式は単に責任転嫁の常套手段であり、言わば卑劣と卑小の最たる証なんじゃないか。
と、まぁ。
こんな事を、そういえば友達が言っていた訳なんですよ。
いやはや、もうね、もうダメよっ。
もうそんな感じですわ。
と言う春原の友達の輪は常に何かにイチャモンを付けて暇を潰して過ごしているのです。
そんな日々の一ページから生まれた今回のイチャモン、もう突っ込み所満載じゃないですか。
「んじゃなんでそんな方程式を使ってわざわざ自分からリスクの有る話をするの?」
言ってやりましたよ。
論破してやったり気分満載ですよ。
そうしたら、物凄い答えが返ってきました。
「つまり、この[そういえば〜〜]を使う人間はMなんだよ」
ああ・・・。
なんか、やられたなぁって感じですよ。
反論をしようにもできないじゃないですか。
突っ込み所をわざと作ってそこに僕が突っ込むのを利用して結論を出されちゃった訳ですから、その結論を否定すると突っ込んだ僕の意見が矛盾している事になってしまう訳じゃないですか。
何か久しぶりにしてヤラレタ気がします。
それ以来この「そういえ〜〜Mである」は定説として仲間の輪の中で君臨しているのでした。
何か悔しいので誰かもっともな反論のある方は教えて欲しいものです。
負けっぱなしは健康に悪いが信条の春原は今日も復讐の梯子を待っている日々ですよ。
早く春にならないかな。
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