げんしけん

2005年12月25日 読書
太古、完全、砂漠に孤独
空気、原子、因果律星
そう、土地の子
受胎
哲学の胎児



思えば私たちの体を構成する水素以外の元素。
例えば炭素やら窒素やら。
そんな物はもともと宇宙には存在しなかった様です。
星が真性やら仮性爆発を起こした時の核融合によってそれらの元々なかった元素が作られたと言います。
そういう意味では私たちは正しく星の子であり、哲学の胎児なのです。



それなのに何故もこうやって人は他人を排除し差別しカテゴライズするのでしょうか。
今の日本は世に言うオタク、それが惑星直列並の確立で持てはやされている・・・担がれていますが、そのオタクの謗りを受ける人々も論理的な思考によって生きているのです。
例えばそんな論理的な思考と本能的な行動と倫理の軋轢に悩む例を知りたければこの「げんしけん」を読めばいいのです。
否オタクが見ればサルバトール・ダリの油絵を見るように楽しめます。
オタクが見れば、それはある種の踏み絵としても楽しめるのでは無いでしょうか。
それを求める故に迫害されるが、その負のエネルギーさえもその踏み絵の絵柄に注いでしまう、そんな隠れキリシタンでオタクな方にはぴったりとも言えましょう。

本作はオタクが主観で有りながら普通の展開にはならないのです。
飽くまで己の欲望を社会にぶつける非現実が書かれているのです。
それはいままでの一般的と言える作品には無い展開ですし、シチュエーションとも言えるのではないでしょうか。
そんな特殊な状況をあえて酷く論理的かつ現実的に描き、オタクの謗りを受ける人々にも、溢れんばかりの情熱と完全に理解出来る感情があると広く一般に知らせる力を持つ本作は、正しく上等と言えましょう。
空前絶後のオタクブームの昨今、一過性のブームから市民権を得るにはこんな本作に力を借りて相互理解を深めるのもいいのかもしれません。
生まれた所や皮膚や性癖でいくら差別しても、結局僕らは同じ星の子ですし、やっぱり同じなんですよね。

と、こうやって「げんしけん」を用いて世界平和を詠う酔狂はナカナカ無いのでは無いのかと思います。
曲解に逆説を重ねてこじつければ何でも話せる物なんですけどね。

とかく、僕が言いたい事は。
げんしけんによく用いられる活動をする方々本当にご苦労様と言いたい訳です。
それによっての経済は兎も角、文化の一つの成長節として一役買っている事にも僕はとても素晴らしいと思います。

その情熱は賞賛に値するのかもしれない
一つの有機的な機関
一つの永久運動装置
アー空洞なり
そは、空洞なり なり

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